mixiユーザー(id:1417947)

2025年04月20日18:38

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朝鮮蔑視観・・・

 現在の日本の保守派に通じる意識の中に、朝鮮蔑視観があると感じています。
 保守派の代表だった安倍晋三などは、
 韓国人と会う時には、意図的に自分よりも低い椅子を出して、
 安倍総理の方がやや高い椅子に座り「見下ろす」の位置関係を取っていて、
 児戯にも等しい事をやっていたとの指摘がありました。
 それでいながら、保守派の政治家と韓国の新興宗教である旧統一教会とが、
 深い関係を持ち、いうなればズブズブの関係だった事も間違いありません。
 その辺、どうなっているのか、僕には理解出来ません。

 こうした朝鮮蔑視観がいつ発生したのかは気になっていましたが、
 先日読んだ岩波新書のシリーズ日本近世5藤田覚さんの『幕末から維新へ』に、
 朝鮮蔑視観に影響を与えた書物として、
 本居宣長の『馭戎慨言』(ぎょじゅうがいげん)があるとの指摘がありました。
 『馭戎慨言』は、本居宣長が著した歴史書で、
 江戸時代以前の日本外交史について記述しているとの事です。

 本居宣長は、伊勢松坂の豪商・小津家の出身で、
 契沖の文献考証と賀茂真淵の古道説を継承し、
 国学の発展に多大な貢献をしたことで知られています。
 特に、『古事記』の研究に取り組み、約35年を費やして
 当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『古事記伝』を著しています。
 宣長は
 「日本は世界を照らす太陽神(「日神」)の子孫が
  天皇として統治する万邦無比な国であり、それに相応しい尊厳を持つべきだ」との
 観点で記しています。
 この点に関しては、『雨月物語』の作者である上田秋成と論争した事があります。
 秋成は、 オランダ製の地球図を示して、この小嶋こそが万国に先立って開かれ、
 世界を照らす日月がこの国で生まれたと言っても、
 異国の誰がそれを信じるだろうかと批判しているとの事です。

 『馭戎慨言』の宣長の執筆意図は、
 外交史の観点から漢意の批判・排除を目的としたもので、
 現実の外交を論じたものとは言えませんでしたが、
 黒船の来航が始まると、
 「現実の外交を論じたもの」として拡大解釈されるようになり、
 「馭戎」は「攘夷の別称」であったと考えられるようになります。
 更に、昭和期に入ると、『馭戎慨言』を
 大東亜戦争・太平洋戦争の勝利や大東亜共栄圏のため、
 日本人が必読すべき書であるとされ、「馭戎」は「侵略の別称」ともなります。

 『馭戎慨言』の中で、宣長は特に朝鮮通信使の待遇について、
 朝鮮は属国であるとの認識を示しています。
 その後、紆余曲折を経て、通信使は江戸で将軍に面会するのではなく、
 対馬藩が代理する事になります。

 朝鮮蔑視観は、江戸時代に始まった事ではなく、
 もっと遡るべきものなのかも知れず、それだけ根深いのかも知れません。
 しかし、片方が蔑視していたのでは、
 隣国同士に良い関係が生まれるとは思えません。
 お互いに尊重し合う事が基本だと思います。


【今日の一句】
 泣いてます 草葉の陰で 母ちゃんが

 親を泣かしちゃいけません。


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