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2025年01月29日08:07

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2025年1月29日(水曜日)

『義経とハン』

源義経がモンゴルに亡命してチンギスハンになった、と聞いたことがあります。
チンギスハンの誕生日は「?」マーク付きですが、1162年生まれとのこと。
義経は1159年生まれです。
3歳の差はありますが、あの当時の日本の歴史とどこか似た所が見え隠れします。
源義経とチンギスハンが同一人物だったとしたら、実に面白いお話です。

義経の経歴からすると、「1189年義経、衣川館で自害」とあります。
当時のモンゴル族の人口は数十万人ほどでした。
チンギスハンという人物は、自分達の文化や宗教を広めようとしなかったし、征服地の宗教と生活文化を熱心に学んだといいます。
ただ、私達が知り得ているチンギスハンの顔と、背は低かったとしても美男子だったと言われている義経とが合いません。

チンギスハンが築いた「大モンゴル帝国」。
彼の素晴らしさは、本国と植民地、本土と属州といった差別は一切しなかったことですし、人種・信仰・言語・出身地‥‥これらでも人を差別しなかったことです。
このことを義経で見ると、ググッと来るものがあります。
次のことはどうでしょうか。
モンゴル軍が無敵だった理由の中の一つ、チンギスハンの組織改革です。
以前は部氏部別に編成されていたのですが、ハンはモンゴル騎馬軍団を、ハン任命の将軍が軍団を指揮できるように組織を作ったことです。
この改革ってね、織田信長と同じなのですよ。

チンギスハンが1162年生まれだとすると、ハンは65歳に亡くなったことになります。
ハンが義経なら、義経のゲリラ的奇襲戦法を、西夏に侵攻した時も、金との開戦の時も、ホラズム国に遠征した時も取り入れていたかもしれません。
1206年に河汗の大臣になった時、ハン=義経だったとしたら、義経が死んだとされてから17年目のことで、義経47歳でした。
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