1936年、ベルリンオリンピックのマラソン競技において、日本は世界新記録を樹立、金メダルと銅メダルを獲得し、国民は歓喜に沸いた。しかし、その2個のメダルには秘められた想いがあった。日本代表としてメダルを獲得したソン・ギジョンとナム・スンニョンが、日本名の孫基禎と南昇竜として表彰式に立ったのだ。第2次世界大戦の終結と共に、彼らの祖国は日本から解放されたが、メダルの記録は日本のままだった。1947年、ボストンマラソン。その二人がチームを組み、才能あふれる若きマラソン選手を歴史あるボストンマラソンに出場させる。<祖国の記録>を取り戻すために—。
(公式ウェブサイトより)
<2024年9月1日 劇場鑑賞><ネタバレあり>
1936年のベルリンオリンピック。韓国人の2選手が金と銅に入賞しますが、当時韓国は日本の統治下にあったため、記録は日本のものとなります。しかも、金メダルのソン・ギジョンは、日本の国旗をオリーブの葉で隠したため引退を強要されました。そのため、今はやさぐれた生活をしています。一方、銅メダルだったナム・スンニョンは今でも現役で走っており、才能ある若手を育成したいと思っています。時は戦後。1947年。韓国も日本から独立し、今は日本領ではない。ナムは、なんとかベルリンオリンピックの雪辱を晴らせないかと思っていたところ、”貧乏ゆえ常に必死で走るしかなかった”若者ソ・ユンボクを発掘し、次のロンドンオリンピックを目指します。盟友だったソン・ギジョンは最初は協力を渋っていましたが、次第に本気になって行きます。
しかし、ここで問題勃発。オリンピックに出場するには、国際大会の実績が必要だったのです。近い未来で該当するのはボストンマラソン大会。これに出場するしかありません。気を取り直し、頑張る3人。ナムは親交のあるアメリカ選手に招待状を書いてもらえるよう頼み込み、無事招待状が届きます。しかし!物事にはこれがつきものですね。お金です。アメリカ人の保証人と莫大な保証金が必要だったのです。保証人はなんとかなったものの、そんな大金、誰が用意できると?
ソンは壮行会を実施します。しかし、どんなに交渉しても「お金がないと参加できない」と言われ、参加が危ぶまれることを知った聴衆は、みなでカンパし始めます。国を挙げての名誉挽回、お金は無事に集まりました。3人はいよいよボストンへ。
しかし、またここで問題勃発。なんでですか、本当に。大会側は、韓国は現在「難民国」だから、保証人であるアメリカの星条旗をつけて走らなければならないと言うのです。「韓国は独立国だ!」さすがに怒った3人は帰国しそうになります。ここで3人は記者会見を開き、ソン・ギジョンは、自分が味わったベルリン・オリンピックでの屈辱を述べ、ボストン・マラソンに独立を示す韓国国旗をつけて走ってはいけないのか、と切々と訴えます。記者たちは賛同し、大会委員長も「規則には例外がある」とそれを認めるに至ったのです。
やっと走れましたね。欧米の選手にバカにされながらもソ・ユンボクと先輩ナム・スンニョンは健闘します。しかし、こんなこと本当にあったのかと思うようなことが。あるご婦人が連れていた犬が、手を離れコースへ。ソ・ユンボクは転倒してしまうのです。ええぇっ!
しかし、ここからが圧巻でした。徐々に順位を上げ、最後は有力選手とデッドヒート。僅差で勝利するのです。先輩は12位。でも、本当に健闘していました。この最後のマラソンシーンが、本当によくできていました。いやもちろん、今までのシーンもよくできているのですが、運動音痴でオリンピックも見ない私でも、涙が出ました。最後は、本当の3人の紹介が出るのですが、3人とも90代まで長生きしたそう。すごいですね。さすがの体力です。見れてよかったです。
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