ラストシーン、自分の頭の遠くで聞こえたのは、
ジョン・レノンの暗殺を報じるラジオ放送の声。
「ジョン・レノン ダイド」その瞬間、世界が消えたようだった。
国もなく、人を殺す理由も殺される理由もなく、宗教もない世界、
世界がきょうだいになれる世界は、もう絶対に来ない。
そう宣言されたような気がした。
前回の「ジョーカー」を作ったとき、すでにこのラストが決まっていたなら
おそらく多くの人は(自分も含めて)前作の意味を理解してなかったことになる。
「バットマン」が出てこないゴッサムシティで、
虐待の過去を持つ自閉症ぎみの男がテレビ生放送で司会者を殺す事件が起こる。
彼の名はアーサー・フリック、もしくはジョーカー。
前作ではジョーカーが最後にゴッサムシティを破壊し、踊りながら笑う。
逮捕され刑務所に入るところで終わるが、その後はどうなったか?
…まさかこうなるとはね。
日本でもバカがひとり、この映画を真似して地下鉄で事件を起こした。
彼はこの映画を見られるだろうか?
もし見たら、自分がどうしようもなく間違っていた、
ひとりで勝手に盛り上がってバカな真似をしたと、理解できるだろうか?
これは、ひとりの人間の生きざまを描いた物語。
いいこともあり悪いこともあり、楽しいことも悲しいこともあり、
泣いたり怒ったり、姿や形をいろいろに変えたり。
何をしていても人生は続き、時間は過ぎる。
ただそれだけ。
追記;
映画の題名の「フォリアドゥ」は精神医学用語。
直訳は「ふたり狂い」だが、ふたりの人間がお互いの「狂った部分」を増強して
ひとりのときでは想像もつかないような状態になること。
産婦人科の自分ですら思い当たる患者が数人いる。
そのくらい、日常には「小さな狂気」がころがっていて、
ちょっとした出会いが最悪の事態に結びつく。
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