歴史のなかにインド・ヨーロッパ語族が登場します。それまでメソポタミアで文明を営んできたのはセム語族、エジプトではハム語族でしたが、この頃、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト人がヒッタイトという国をつくります。
インド・ヨーロッパ語族は、もともと中央ユーラシアのあたりにいたようです。そこから西方に移動してメソポタミアに入ろうとしても、ウル・ナンム王やハンムラビ王など強い人々がいました。
そういうところを避けてさらに西にいき、現在のトルコのアナトリア半島あたりで落ち着いたのです。幸運なことにアナトリアには鉄がありました。ヒッタイトは鉄器生産の技術を獲得して、強くなります。
少し遅れて別のインド・ヨーロッパ語族がメソポタミアを避けてギリシャに入り、ミケーネ文明をつくります。この人々がクレタ文明を滅ぼしたのではないかといわれています。 ヒッタイトやミケーネ文明が起こったのは紀元前1600年ぐらいのことです。
インド・ヨーロッパ語族は喧嘩好きで、軍事色の強い国家を形成しました。エジプト新王国の幸運そのころエジプトにはヒクソスを倒した3つ目の王国、新王国が誕生します。ツタンカーメンの黄金のマスクが出土した「王家の谷」の墳墓やルクソール神殿など、エジプト文明におけるピラミッド以外の大建造物は、だいたい新王国の時代にできました。
新王国がラッキーだったのは、ライバルであるメソポタミアが、紀元前1500年ぐらいから、ヒッタイトの侵入などを受け、分裂状態に陥ったことです。つまり、新王国の栄華は偶然であり、国の盛衰においても、運はとても大事だとわかります。
インドまで1000年、中国までさらに1000年 この間、中国で黄河文明が起こり、漢字という世界で一番美しい文字が出現しました。メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の四大文明のなかで、黄河文明が最も遅い理由は、メソポタミアから遠いからです。
エジプトは、メソポタミアから近いのですぐに影響を受けました。インダスまでは、海伝いに1000年ぐらいかけて影響が及びました。 中国は、メソポタミアからさらに遠く、 陸伝いに西アジアから伝わるのに、インドより1000年以上、余計にかかった。
そう考えるとわかりやすいでしょう。 黄河文明がメソポタミアの影響を受けている証拠は、 チャリオットや宦官という風習の存在です。宦官というのは、強い雄にたくさん子どもをつくらせたいから、弱い雄を去勢するということです。どう考えても黄河流域の農耕の文化に馴染みません。西アジアの遊牧民の風習からきているのです。
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