昭和19年7月22日、東条内閣に代わって小磯内閣が成立しても、戦局の好転は得られませんでした。日本国の戦略基地であるマリヤナ諸島が敵手にわたった後は、敵機B2が、直接本土を空襲するようになって、時局は容易ならぬ段階に入ったのです。
石原将軍は、東亜連盟の線で何とか時局を収拾したいと考えていたのですが、小磯首相も、時局の収拾は戦局だけでは容易ならないことを洞察して、支那の要人繆斌によって重慶との和平工作を考えたのです。
この繆斌工作に尽力したのは、石原莞爾の思想・人物に傾倒していた朝日新聞社の田村真作、小磯首相、国務相緒方竹虎、東久邇宮殿下、石原莞爾で、蒋介石自身も和平を心から望んでいたのです。
これに反対したのは、外務大臣重光葵、陸軍大臣杉山大将、海軍大臣米内大将、 内大臣木戸幸一です。終戦直後、杉山陸軍大臣は自刃しましたが、そのとき杉山大将は「あのとき繆斌工作をやっておけばよかった。惜しいことをした」と後悔したといいます。
もし繆斌工作ができていれば、日本はあのような悲惨な無条件降伏や占領政策にはならなかったと思う。繆斌が石原将軍と知り合ったのは、田村真作を通じてです。繆斌は支那江蘇省無錫の出身で、上海の南洋大学を卒業し、若いときから革命運動に身を投じました。
中国において抗日運動の盛んなときにあって、「抗日危機の猛省」というパンフレットを公表して、日両国の反省を促すなど、アジア問題については深い関心を持っていたのです。日本の『古事記』から近代までの日本歴史の研究をやり、夫人とともに来日したこともあり、日本語も少しは話されたといいます。
日支事変の当初において、中日両民族の交戦の不利を主張しているので、石原将軍の東亜連盟思想とは相通ずるものがあります。古い東洋の道義と、新しい西洋の科学性を兼ね備えた優れた中国の政治家で田村真作は真摯にして熱烈な石原将軍の尊崇者です。
石原将軍を主題にした『愚なる戦争』『三十六時間戦争』などの著者もあり、繆斌とは昭和十四年以来の知己というから繆斌は田村真 作を通じて石原将軍の思想とか人物については熟知していました。繆斌は「石原将軍はステーツマンです。私は石原さんに会わなくとも石原さんの心はよくわかります。同志です」と語っています。
繆斌は田村真作氏に「お国の日本と中国とは難兄弟です。中国には難兄弟という言葉があります。兄弟というものは、お互いが困らない間は、兄弟の有難さがわからないのです。それで喧嘩ばかりしています。」
「お互いに困って来るとそのときに始めて兄弟の本当の愛情がわかって来るのです。日本と中国とはこの難兄弟と同じことです。日本も中国もお互いに本当に困って来ないと両国の愛情がわからないのです。」と語っています。
繆斌の日両国和平の意図するところは、 もし日本が米英の戦争に負ければ、その禍は直ちに中国におよぶので、日本が敗戦にならない前に、中国の面目を損じない程度において日両国が和平すべきであるというもので、これはアジア人としての卓見です。
今日のアジアの情勢を観れば、今さらのように感じられるものがあります。この構想には小磯総理も深い関心を持ち、緒方国務相ならびに山県初男によって繆斌の日本招聘工作を進めさせたのです。
そこで繆斌は昭和20年3月16日、上海から南京総軍の飛行機で羽田に着いたのです。これは非公式な招聘であったが、国賓待遇として宿舎は港区南麻布の迎賓館に定められました。石原将軍も直ちに鶴岡より上京して繆斌に遇い、和平工作の推進に参画したのです。
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