「日本ジャンプの幕開け」笠谷幸生さん死去、72年札幌五輪で金「日の丸飛行隊」で表彰台独占
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1972年(昭和47年)の札幌冬季五輪のスキー・ジャンプのゴールドメダリストである笠谷幸生、亡くなる、ですか。日本スキー連盟(SAJ)が「2024年4月23日(火)、ご逝去されました」と発表したそうで、その日の午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で亡くなったとか。
日本選手として、冬季五輪で初の金メダルとなったのがジャンプの70メートル級(当時)で、2位(銀メダル)に金野昭次、3位(銅メダル)に青地清二が入り、日本選手が表彰台を独占、「日の丸飛行隊」と呼ばれ、日本中が「沸きに沸いた」程の出来事となりました。私は当時は子供でしたが、スキー・ノルディックのジャンプと言う競技の存在を初めて知り、空を飛ぶようなそのスタイルに感銘を受けた記憶があります。その中で、日本選手の金銀銅表彰台独占と言う“凄い出来事”があった訳で、幼心に強い印象を残したスポーツの一場面となりました。
勝木紀昭連盟会長は、訃報を受け、「皆さんご存じの通り、1972 年の札幌オリンピックの金メダリストであります。当時、私も宮の森ジャンプ競技場でこの歴史的瞬間に立ち会いました。今でも鮮明に記憶しています。この出来事は、日本のスキー界に大きな影響を与えたことはもちろん、現在の日本のジャンプ選手の快進撃の幕開けだったと思います。選手時代のご活躍はもちろん、選手引退後は指導者の道に進み、本連盟の理事、競技本部長を務められ、多くの優秀な選手を育成しました。笠谷さんのご功績は、日本スキー界の代えがたい宝であります。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と追悼コメントを出しましたが、日本でスキーのノルディックのジャンプと言う競技への関心が大きく高まったのは、まさにこの人の功績だと思います。
銀メダルの金野昭次、銅メダルの青地清二は既に鬼籍の人となり、笠谷幸生も亡くなったことで、三選手すべてが“旅立った”ことになりますね。享年80歳とのこと。合掌。
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