再上映があったらしく、けっこういい評判なので、
むかーしの記憶も薄れているし、DVDを買ってみた。
驚いた。
ワシの記憶している内容と全然違った。
てゆっか、前にみたときもDVDなんだけど、
無理に見せられて、居眠りしながらで、内容飛び飛びにしか見てない、と
思い出した。
たぶん開業してすぐの頃じゃないかな。
作品の制作自体は1993年、平成5年。
ワシが研修医を終えて大学に戻ってあたふたして、
映画館に行く余裕など全くなかった時代。
この年の1月に雅子さまが皇室入りすることが決定し、
この年の秋に細川政権が誕生している。
てなことはどうでもいい。
何に驚いたかって
「大人の純愛物語」
だったとは!
イギリスに妻がいるが何かの事情でニュージーランドに流れてきたべインズ。
顔に少しだけ入れ墨してマオリの言葉が通訳できるほど話せるが、
イギリス人仲間には入らず本当のマオリ族仲間にもなれない中途半端な暮らし。
スチュアートはいわゆる「移民」で叔母を連れて
(おそらく叔母が移民費用を出したんだろうな)
マオリの土地を買い、開墾して農場やら牧場やら作ってる途中。
エイダがスチュアートに嫁いでくるのは「父親が決めた」ことだが、
未婚なのに娘(フロラ)がいる。
こまっしゃくれた6歳くらいの設定で、
「パパはドイツの音楽家、ママはオペラ歌手」
「森の中の結婚式でパパは雷に打たれて燃えてしまった」
「それ以来ママはショックで口がきけなくなった」という話をするが、
その年代の子供にありがちな空想物語なのだ。
エイダは6歳のとき「口をきくのを自らやめた」。
すごい話ですな。本人も理由を覚えてないくらい狂信的な強い意思。
フロラの父親に当たる人は「ママの先生」というから
ピアノの家庭教師か何かではなかろうか。
その人とエイダは、言葉がなくても頭で意思を理解しあえた、というのだが、
それが恐ろしくなって結婚はせずエイダのもとを去る。
物語最後半、エイダの裏切りを知って指を切り落としたスチュアートが
エイダの心の声を聞く。
絶対に渡さない、と心に決めていたはずなのに、
銃をもってべインズを訪れたスチュアートから出た言葉は
「ふたりでここを去ってくれ。すべては夢だったと思いたい」
最初は「想像より背が低い、成長不良じゃないか」などと
エイダの外見に不満を述べていたスチュアートだったが、
「自分が金を出して手に入れた財産としての妻」だから渡したくない、のでなく
「心から愛していると気づいた」から幸せを考えてべインズに渡す。
心の声はうそをつかない、エイダの心は自分のものにならないとわかってしまった。
「闇の左手」というワシが世界で一番好きなSF小説があるんだが、
その中でも「心の声は嘘がつけない」という話が出てくる。
心話(と呼ぶ)ができる人間が主人公をからかってやりかたを教えるが、
やっと「名前を呼ぶ」ことができるようになったとき、
相手が自分を愛していることを知ってショックを受けるシーンだ。
名前を呼べるようになったほうは気づかない。
心の声ではダメだ。
自分の声で、相手に本当に伝わる方法で伝えないと
伝わらない。どちらも疑心暗鬼になって不幸して招かない。
だからエイダはピアノがなくなったべインズの家で、
体で愛を伝える。
船で「北の街」に行く途中で、ピアノを海に捨てるのも
つまりは「心の声」を捨てる決意だと思う。
「心の声」は抵抗してエイダを海底に引きずり込もうとするが、
一度思い込むと狂信的な意思で行動するエイダは、
靴にからまったロープを靴ごと脱ぎ捨てて、べインズの待つ船にもどる。
これが、ニュージーランドに到着して岸にたどり着く前であれば
エイダはピアノといっしょに沈むことを選んだに違いない。
べインズを演じるハーヴェイ・カイテルは不思議な役者だ。
片方の目が外斜視で正面から見てもどこを見てるかわからない、
何を考えてるかわからない不思議な男の役にぴったりなんだが、
「レッド・ドラゴン」ではなんとFBI敏腕捜査官を演じている。
スーツの上着を脱ぐとワイシャツが分厚い胸板でぱつんぱつんで、
どう見ても「心理捜査官」でなく「肉体派の現場刑事」にしか見えない
(「バッドルーテナント」という映画で演じた通り)のだが
なぜか役にぴったりはまって不自然ではなかった。
この映画でも「脱いでも脱がなくてもすごいんです」の自慢の肉体を見せている。
ちなみにワシがはじめてこの人を見たのは「タクシー・ドライバー」で
女をたらして売春させるポン引き野郎の役だった。
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