■3つの線路に囲まれた場所に、林立する広告看板…近鉄「三角地帯」の謎 実は近鉄特急のスピードアップに大きく貢献
(まいどなニュース - 02月11日 17:50)
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近鉄(近畿日本鉄道)の伊勢中川駅と言えば、大阪線と名古屋線と山田線の3路線の交点であり、大阪、京都、名古屋から伊勢志摩に向かう特急列車などがここで合流し、また伊勢志摩から大阪、京都、名古屋方向に向かう特急列車などが分岐する交通の要衝であり、大和西大寺駅や大和八木駅と並ぶ「近鉄が誇るジャンクション駅」として知られる一方、名古屋線と大阪線を結ぶ「名阪特急」が走る単線の連絡線があり、駅そのものには立ち寄らないもののこの線のおかげでスイッチバックをしなくて済むと言う結構重要な存在の線でもあり、また車両の方向転換にも使える、それこそ、記事が言う「ものすごく有名な三角地帯」です。私はこの近辺は「未踏の地」ですが、近鉄の歴史にとってもかなり重要な存在とも言え、これがあることで近鉄の現在が成り立っていると言っても過言ではないと思います。
昭和5年、当時の参宮急行電鉄(参急)の駅として開業、3路線が交わる形態が成立、大阪電気軌道(大軌)と参急が合併して関西急行鉄道(関急)となり、さらに昭和19年に関急が南海鉄道(戦後に分離して南海電気鉄道となる)と合併して近畿日本鉄道が成立しましたが、大阪線と山田線が標準軌(軌間1,435mm)、名古屋線が狭軌(軌間1,067mm)なので戦後に復活した特急は、名阪間ではここでの乗り換えを余儀なくされていました。
昭和34年、当時未曾有の被害を東海地方中心にもたらした伊勢湾台風の災害復旧を兼ねて11月27日に名古屋線を標準軌に改軌し、大阪線・山田線と直通可能となるように配線を変更、名古屋と大阪上本町をダイレクトに結ぶ名阪特急の運転がスタートしましたが、ここでのスイッチバックがネックであり、昭和36年の中川短絡線開通と相成った次第。スイッチバック解消で大阪線と名古屋線を一本で結ぶ特急がスタート、国鉄への対抗が本格的になりましたが、昭和39年に東海道新幹線が開業し所要時間で大きく差をつけられ、一時“斜陽化”の状況にありました。
特急の中心が伊勢志摩方面となった(昭和45年に鳥羽線の開業と志摩線の標準軌への改軌があった)中、昭和51年に行われた国鉄の運賃・料金の大幅値上げを機に「安さ」がセールスポイントとなって名阪特急への客が戻り、アーバンライナーやひのとりと言った名阪特急向けの車両も登場、近鉄特急のメインの座を取り戻した恰好となりました。
近鉄名古屋と鶴橋の間が無停車の名阪甲特急(ノンストップ特急)がこの中川短絡線に入って徐行し、大阪地区(上本町営業局→大阪統括部、大阪線担当)の運転士と名古屋地区(名古屋営業局→名古屋統括部、名古屋線担当)の運転士が走行中に交代するのは名物的存在で、記事が書くように、交代要員の運転士が運転台の横に座り、それまで担当していた運転士がブレーキハンドルから手を離すと、即座に交代要員の運転士がブレーキハンドルを握り、そのまま運転台の席に座ると言う方法で知られていたようです。まだ続いているのかと思いきや、平成24年(12年前!)のダイヤ改正で甲特急が津駅に停車するようになり、運転士が津駅で交代するようになったのを機に廃止となったようで、時代も変わったなと思いました。
地元の企業や「赤福」などの広告看板が立ち並んでいると言うのも最近知りましたが、鉄道旅行を中心に活動のYouTuber「スーツ」が「中川短絡線」「鉄道YouTuberスーツ絶賛!!」と広告看板を出しているとは、何とも商魂逞しいなと思います。低く聴きやすい声の明確なナレーションが有名ですが、こうした広告を出せるまでになったとは、交通YouTuberの中でも“別格的存在”なのかもしれませんね。
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