戦争は国の大事だから、十分慎重に決断しなくてはならない、と孫子は教えています。まさにその通りですが、たとえ我に不利とみえても、戦わなくてはならないのが戦争でもあります。戦争は始めた以上、勝たなくてはならない。
クラウゼヴィッツの『戦争論』も、勝利のマニュアル本として書かれています。けれども戦争には勝者がいれば、必ず敗者もいます。勝者のいない戦争がないように、敗者のいない戦争もめったにありません。勝敗の確率はおおむねフィフティー・フィフティー、つまり50パーセントです。
『戦争論』は勝利のマニュアル本だから、負け戦についての記述は少ないのです。しかしクラウゼヴィッツ自身、イエナ、アウエルシュテットの会戦で惨敗を喫し、祖国プロイセンの崩壊を体験しています。この敗戦体験が『戦争論』の原点でしょう。
ドイツは第二次大戦の敗北で都市が灰儘に帰し、日本もまさかの大東亜戦争で敗北し、歴史始まって以来最初の外国軍隊の長期に及ぶ占領を体験しました。占領軍はクラウゼヴィッツの予見通り、日本国民の心のなかにまで手を突っ込み、「意識改革」とやらを迫った。
残念ながら戦後の日本にはクラウゼヴィッツのような敗戦体験を原点にして、腰をすえて 『戦争論』を著す軍人はまだ現れていません。改めてクラウゼヴィッツを矯く必要があるのではないでしょうか。負け戦の原因は? 捲土重来・起死回生の秘策は? 以下、クラウゼヴィッツの主張を軸に探っていくことにします。
これが負け戦の実際です。最終段階で全容を現す動かしがたい真実があります。敗戦感は退却とともに始まるのです。大会戦での敗戦の模様は、親しく目にした者でなければ想像もつくまいといって、クラウゼヴィッツは詳しくその経過を再現しています。
おそらくアウエルシュテットの敗北やワーテルローの勝利の体験によっているのでしょう。これは負け戦だと、将軍が感じる最初は兵力の消耗で、その次がわが方の戦場の喪失です。こうなると傘下の部隊はわけのわからぬ混乱に陥り、退却も危険になってきます。だいたい退却は夜になって始められ、一晩中続くのが通例です。
いざ退却となると、疲労困憊した多くの将兵が戦場に取り残されます。そのなかには敵陣の奥深く突き進み、もっとも果敢に戦った勇者もいます。退却とともに敗戦感は将校のみならず、兵士にまで伝染していきます。それはもっとも勇敢だった戦友を戦場に置き去りにした、後ろめたさも手伝って加速されます。
それはまた司令部に対する不信感を煽る。敗戦の責任は司令部にある、と部下は思い込むようになるのです。敗戦は厳粛な現実です。 気ままに否定できるような想念ではない。敵がわが方より優勢だという動かしがたい真実です。事ここにいたる真実はさまざまな原因のなかに隠されていて、事前に見抜くことはできなかったのです。
それが大会戦の最終段階にきて、その全容を現したのです。あるいはこの真実に、あらかじめ気づいていた将軍はいたかもしれません。だが、彼はこの事態をもっと誠実に見極めようとせず、「いたずらに偶然に期待をかけ、僥倖と神の摂理とを頼み、その揚げ句、この動かしがたい真実に対抗するべく、気負った冒険に打ってでなければならなかったのだろう。ところがこういうそら頼みはすべて、無駄な抵抗であることが明らかになり、その代わりにどうしようもない厳粛な真実が、われわれを威圧するのである」とクラウゼヴィッツは述べています。
このくだりには、かつての大東亜戦争における軍部の動向を思い出させるものがあります。大東亜戦争は日本が買ってでた戦争ではないのです。ABCD包囲網の経済制裁をみれば明らかなように、米英が仕掛けた戦争です。売られた喧嘩は買わねばならぬ時もある。
日清戦争講和における三国干渉の時のように、臥薪嘗胆という選択もあるでしょう。しかし中国大陸から全面撤退して、果たして日本は生き残れただろうか。 開戦は止むを得ない選択であったのです。しかしそれゆえにクラウゼヴィッツの指摘する神頼みに走ってはいけなかったのです。石原莞爾は米英とは戦争してはならないと最初から見抜いていたのです。
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