対外的な影響を鑑みると、日露戦争は日本人のイメージを決定したところがあります。アメリカ人の従軍記者ウォシュバーンが、「乃木」という乃木希典の本を書いたり、農学者の新渡戸稲造が英文で「武士道」がイギリスでベストセラーになったり、このとき流布したサムライとしての日本人のイメージはかなり大きいと思います。
日露開戦前の欧米の新聞に掲載された絵を見ると、断崖と断崖の谷間を渡るために唐傘をさして綱渡りしている小さな猿が描かれています。無事に綱を渡れば、片側の断崖では巨大な白熊、つまりロシアが待ち受けている、といった構図になっているのです。
ところが、戦争が終わってみれば、こんな小さな猿が、白熊をやっつけてしまった。そこで、日本古来の武士道精神が急に国際的な注目を集めるようになったのです。新渡戸稲造が絶妙のタイミングで英文の「武士道」をきちんと書けたというのは、日本にとってとても幸せだったといえます。まさに5千円に納まった方です(笑)
日本軍は、敗れたロシアの将軍たち、ステッセルやロジェストウェンスキーに対しても礼をもって接しました。武士道と国際法が幸福な一致をしていたのが、この頃の日本軍でした。203高地の激戦中、死体を片付ける時間は休戦となります。
双方、白旗を掲げて作業を終え、両軍兵士が日本酒とウォッカを傾けて、我等、日露の二国が一緒になれば、イギリスでもドイツでも簡単に勝てるぞ、と互いの健闘を讃え合ったといいます。これが、武士道なのです。この頃のロシア人にもそんな古いところがありました。休戦の時間が終われば、また撃ち合う。この頃はルールを信頼しあっていたのです。
明治38年に発表された、東郷平八郎司令長官の「連合艦隊解散の辞」というものがあります。合衆国大統領セオドア・ルーズベルトは、これを読んで非常な感銘を受けて、英国王エドワード7世に、是非お読みなさいといって書物を送ったくらい、格調の高いものでした。最後の人が「古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」の一句で終わるものです。
ロシアは当時、日本のGNPの8倍の大国でした。日米開戦の時に、米国のGNPも日本の約8倍なのです。日露戦争で8倍の相手に勝てたので、米国にも勝てる心理になったのではないでしょうか。GNPの比率でいつも大きいほうが勝つわけではないというのも、戦争にかかわる普遍的な心理の1つです。
事実そうした例はヨーロッパ史にも多々あります。今日でも、ベトナム戦争をはじめ、その例は無数にあります。要は大戦略的な意味で、どんな戦争の戦い方に持って行くか、という構想力の問題なのでしょう。大きい国には絶対に刃を向けないという思考法、これもまた戦後日本の特殊な戦略なのかもしれません。
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