高度経済成長に酔いしれている日本人を象徴するだけの話です。なるほど経済は復興したが、終戦で喪失した日本人の伝統的な文化や精神は、なんら復興することがないではないか。皆が金を儲けるだけでいいのか。みんな腑抜けでいいのか。と、強烈に思う人がいたのです。作家の三島由紀夫さんです。
「私は戦後、鼻をつまんで生きてきた」と言い、こんな戦後は許せないと常々語っていた三島さんは、とうとう自ら主宰する「楯の会」のメンバー四人と自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監室に乗り込み、総監室前のバルコニーの上から大演説をぶちます。
11月25日のことでした。「自衛隊諸君よ、だらしのない政府に対してクーデタを起こせ、日本精神はいずこにあったのか」と叫んで憲法改正・天皇親政の復活を大声で訴えたのですが、自衛隊諸君に拍手も賛同もする者はなく、皆ただポカーンと見ているだけでした。
まあ、三島さんもはじめから予想していて、死ぬつもりで乗り込んだのだと思いますが、やるだけのことはやって割腹自殺したわけです。これもまたテレビが延々中継しまして、日本中の人が見ていました。
ちなみに三島さんが腹を斬った部屋は、戦時中は陸軍大臣の部屋だったと思いますが、現在、東京裁判が行なわれた講堂とくっついて、記念館として見学できます。この事件について、佐藤栄作首相はひと言「気が違ったとしか思えぬ」と片付け、当時の防衛庁長官、中曾根康弘代議士は「民主的・平和的秩序の破壊者として糾弾する」と全否定しました。
これには三島さんを敬愛し、立派な死じゃないかと思っている人たちは「何を言ってるんだ、総理大臣はけしからん、防衛庁長官はもっとけしからん」と息巻き、評論家の村松剛さんは「昭和元禄への死をもってする警告」と述べ、さらに作家の林房雄さんは「彼の死は諫死である」、つまり日本人全員を身をもって諫めようとして死んだのだ、と三島さんを心から称えたのです。
いずれにしろ、三島事件はテレビ、新聞、雑誌、とくに週刊誌は軒並み一所懸命にバンバン報道しました。ちなみに事件直後の「週刊文春」は、編集長の判断か何かで事件を一行も取り上げませんでした。すると売れ行きがダーッと急降下して、回復するのに半年かかった。それくらいどのマスコミも事件を派手に扱ったのです。
要するに、報道をセンセーショナリズムにエスカレートさせる今のマスコミ体質は、三島事件をもってはじめとするのではないか、そう私などは思うのです。それほど日本人を仰天させた事件でした。
三島さんの壮絶なる死が、保阪正康さんのいうように、戦後民主主義と高度経済成長下の社会的怠慢と安定に対する、極端にラディカルな反抗の意味をもっていたと言えなくもありません。それくらい昭和40年代の日本全体には、ごくごく安定した元禄時代のような太平意識が覆っていたのです。
三島さんは遺書の一つで、「古き良き伝統のためにわが身を捧げようという気持ちになっている」と書いていますが、ただ復古主義というだけではなく、経済大国日本の精神的頽廃と怠惰に警鐘を鳴らしたのです。
このあと三島さんに続いて戦後民主主義に対する同じような批判を叫ぶ論者が増えていくようになります。いずれにせよ、安保の年と言われた70年が三島さんの死をもって終わりました。そういう点では三島さんの死に方はまさに象徴的であったとは思います。
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