ロッキード事件に関係した元特捜検事は「どっちが本当かはわからない。密室でのことだから。二人とも、自分で言っているだけだから」と口をにごしています。美談が一人歩きしているだけで、結局、真相はやぶの中なのです。
特捜部の取り調べ方法や供述調書の作文疑惑も、なにも今に始まったことではないことに気づくのです。それはゼネコン汚職事件などでも見られるように、ロッキード事件から脈々と続いている悪しき伝統のようなものなのです。
しかも、ロッキード事件の際、弁護団の中で「検事調書の信用性を争うのは失礼だ」と言った裁判官出身の弁護士がいたというが、こうした検事調書依頼癖が裁判所に蔓延し、法廷で供述調書の信用性に疑念を抱かず、「検事調書=真実」という発想が裁判所にあるとするなら、それはもはやチェック機構を果たせないばかりか、 特捜検察の暴走をさらに助長するものなのです。裁判所にも責任の一端はあるのです。
事件当時の航空機商戦の状況から見て、丸紅は、全日空へのトライスター売り込みに本当に窮していたのだろうか。丸紅から田中角栄への請託は本当にあったのだろうか。嘱託尋問の証拠能力について判断は分かれましたが、その整合性はどうつけるのか。
検察側が描いた四回にわたる五億円授受の構図は、どの証拠によるものなのか。事件をあらためて客観的に検証すると、いずれも証拠上、解明されているとは言いがたいのです。誰かがウソをついているのだろう。そしてそれは、検察当局の可能性もあるのです。
田中角栄に対する裁判は、1977年1月27日に始まり、一審判決は1983年10月12日。懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受けた田中角栄はすぐに控訴しました。2審は控訴を棄却し、裁判は最高裁までもつれ込んだのです。
田中角栄は上告審に係属中の1993年12月16日病死したため、最高裁は「公訴棄却」の決定を下し、裁判は終結しています。「公訴棄却」の決定とは、あくまで検察側の起訴を無効とする判断で、田中角栄が一、二審どおり有罪ということではないのです。
田中角栄が病死したころ、最高検幹部からこんな話を聞いたという記事があります。「これで最高裁はホッとしただろう。これまで田中への判決を書けなかった、いや、書きたくなかったのだから・・・」だれも田中角栄の判決を書きたくないのです。証拠の適法性はもちろんのこと、それほど不透明な事件だったということを証明しています。
にもかかわらず、検察と裁判所は、田中角栄の死ですべてを封印してしまったのです。ロッキード事件は、検察の歴史の中で高く評価され、東京地検特捜部の代名詞になっているのですが、その問題の捜査手法は、当たり前のように特捜部に引き継がれ、裁判所もそれを見逃す結果になっているのです。
特捜部経験のある元検察首脳は「ロッキード事件の悪しき習慣がそのまま罷り通っている」と言ったように、ロッキード事件以降の特捜検察は反省のないまま、その呪縛を引きずっているのです。
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