昭和42年(1967)6月5日、イスラエルとエジプトの間で六日間戦争(第三次中東戦争が勃発します。この時は、イスラエルが国防相ダヤン少将の指揮による電撃作戦で一気に攻め入りました。350機が20ヵ所の飛行場を一挙に攻撃、400機以上を地上で破壊するなど、アッという間にエジプト軍を完膚なきまでに叩きつぶし制空権を奪いました。
次いで戦車を主力にした部隊がダーッと侵攻し、シナイ半島、エルサレム旧市、ゴラン高原を占領するなど、ほんとうにイスラエル軍は強かったのです。ですから6月11日にあわてて国連が間に入って停戦し、戦いは6日間で終わったのですが、あのまま続けば世界戦争につながっていくのではないかという危機感は全世界に走ったのです。
かと思えば、文革中の中国が6月17日、初の水爆実験を行ない、核の保有を誇示します。また10月9日には、(キューバ革命における) 英雄児チェ・ゲバラがボリビアで戦死します。世界革命を信じる人たちにとって、ゲバラの言葉「いずこであれ、死がわれわれに不意討ちをかけるならば、それを歓迎しようではないか」は金科玉条とされ、まるで「死ぬことは恐ろしくない」と言わんばかりでした。
このように、社会主義革命が世界的に大きな動きとなった時代でもありました。そして翌昭和43年(1968)3月16日、ベトナム戦争において、ソンミ村という小さな村で、アメリカ軍によるたいへんな虐殺事件が起こります。これが全世界に伝わります。
アメリカ軍はたいへんな被害を出した、これはその復讐戦なのだ。そもそもゲリラ戦だから兵士か民衆かわからない、皆殺せと、兵士でないかもしれない村人百九人が殺されたのです。事件が公表された時、アメリカ人はたいへんなショックを受けました。
我々にも大きなショックでしたが。のちに心あるアメリカ人は言いました。「第二次大戦で戦争犯罪を裁いた(ドイツ人、日本人に対して)が、我々にはもはやその資格はない」これほどアメリカ人は、等しくベトナム戦争でのアメリカ兵の残虐さに衝撃を受けたのです。
アメリカ各地で反戦運動の勢いが高まり、同時に、戦争で一番たくさん死者を出している黒人が暴動を活発化させる事態になります。これが日本にも伝わりますと、国内の反戦運動は火に油を注がれたように広がっていきました。
さらに今度はヨーロッパです。5月4日、パリのカルチエ・ラタンにバリケードが築かれ、立て籠った学生たちのデモが、取り押さえようとする警官隊と正面衝突します。そしていわゆる「花のパリ」で大乱闘事件が毎日繰り返されたのです。
フランス政府の体制への不満からはじまったこの運動は、ちょうど第二次世界大戦でパリに突入したアメリカ・イギリス軍とフランス軍が、ドイツ軍と戦った市街戦のようになってしまいます。さらに19日には全フランスで大々的なゼネストをかける動きにまで発展し、どんどん盛んになる反政府運動は「五月革命」といわれました。
考えてみると、昭和31年(1956)のかのスターリン批判の影響が全世界的にすこぶる大きかったと思えるのです。輝ける「共産党」がまったく信じられなくなったのですから。それで、いまやその呪縛を脱して、実に多様な反体制運動が生まれ出たのです。
全世界的に。かつてのような指導部への服従なんてことは、まず否定されなければならなかったのです。1960年代後半からのものすごい反体制・反社会・反戦の運動とはそういうものだったと思います。
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