歴史的と言ってもいい沖縄返還で、戦後日本は完全に終わり、新しい日本の歴史がはじまりました。同時に、条約の批准とともに佐藤内閣の役割は終わり、昭和47年(1972)6月に佐藤首相は辞意を表明します。それにしても佐藤内閣は長かったのです。
昭和39年(1964)のオリンピックが終わった後に発足したのですから8年間です。国民もいいかげん飽き飽きしていたのですが、沖縄返還という大仕事があったせいかもしれません、まあ続いたのです。
そして自民党は次の総裁を誰にするかでまた激しい権力闘争があったのですが、福田赳夫氏を抑えた田中角栄氏がここで登場してくるわけです。7月7日、田中内閣が成立します。角さんとくれば「日本列島改造論」、これは総裁になる前の6月に「首相になれば実行するぞ」と発表していました。
すなわち地域開発の推進、さらに日中国交正常化という大仕事を田中角栄氏はすぐにやりました。日中国交回復は内閣をつくると同時くらいでしたから、国民もアッと驚きました。実はこれは角さんの仕事ではなくて、後で「オレが前から裏交渉をしていたんだ」と言う人も出てきたのです。
それは、三木武夫氏です。でなければあれほど早くできるわけがないともいえますが、いずれにしても9月29日に角さんが日中共同声明に調印したのです。国民も田中内閣に大いに期待します。日本列島改造論を表看板に、翌昭和48年(1973) 春ぐらいから田中角栄首相は次々と、ブルドーザーのごとく政策を強力に実行していきました。
公共事業は支出が前年比32パーセント増の大規模なものとなり、老人医療をタダにする法案、老齢年金の大幅増加など、これで日本の社会保障が国際水準に近づいたと言われるほど福祉に力を入れ、昭和48年は日本の福祉元年とさえ呼ばれたのでした。
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