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2023年04月26日05:14

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行き場を失った社会党

細川内閣の後に、村山富市内閣ができました。村山さんが総理になったことで社会党は日米安保も認め、自衛隊も認め、原発も認めました。つまり社会党が政策転換をしたということです。その結果、少し酷かもしれませんが、社会党が終わってしまったわけです。

米ソ冷戦構造も終わっていたわけですから、ある意味でそれは歴史の必然だったかもしれません。その後に民主党が出てきました。鳩山由紀夫さんと菅直人さんが作った政党がどんどん大きくなって、2003年に自由党と合併があり、小沢さんが入ってきて、さらに勢力を拡大して1年には政権交代にまで至ったというのが平成の野党に関する流れです。

この流れを踏まえ、社会党とは一体何だったのか。社会党は55年体制ができて以来、自民党の相方でした。しかも、自民党が実務に就く政党であるならば社会党は夢を語るというか、幻想を語る政党であって、しかしそれが不思議と日本の国民の中ではしっくりいっていました。つまり自民党だけではやはりまずいということでした。

とにかく憲法を守り、外交などについても自民党のやり方に異議を唱えるというところで、ぎりぎりこの体制は成り立っていたと思います。渡邉恒雄さんは常々、「保守党、つまり自民党だけで独裁的に政権をやってはいけない」と言っていました。

彼はある時期から保革連立政権を主張していました。「社会党や、他の野党の一部と自民党が連立していくことが望ましい」と強調していました。よく「お灸政党」と言われましたが、自民党が行き過ぎると社会党に誰も政権を取るとは思わないけれども票を与えるというふうなことがずっと続いてきたわけです。

これは、やはり冷戦構造であったから成り立ったので、冷戦が壊れたときに社会党としては行くところがなくなってしまいました。同時に、湾岸戦争のときに、日本が「金だけ出して人は出さないのか、金も出し惜しみしている」と言われました。

あの事態の中で社会党は相当に悩むわけですが、しかし最後は安保も認める、自衛隊も認めるというかたちで社会党は現実政党になったのです。そして現実政党になった途端に支持率は下がり、社会党は役割を終えたわけです。そしていま、徹底的に与党と対立しない限り野党は存在意義がないと思っています。また社会党の来た道を歩んでいるわけです。

だから立憲民主党はかつての社会党と同じように何でも反対を貫いているのです。それをやっている限り、一定程度の票は入るけれども、政権政党を目指しているとは思われません。いまの野党は、最終的には政権政党を目指すことを考えないと、いつまでたってもこの状況は変わらないと思うのです。 そこが非常に重要だと思うのです。

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