江戸時代、疫病に襲われた江戸の人はさぞかし不安だったでしょう。もちろん特効薬はありません。その日暮らしの独身者が裏長屋で寝込んでも給付金はないか、あっても雀の涙で、たちまち飢渇に及んだ。
文化13(1816)年は初夏から閏8月まで江戸で疫病が流行しました。人が大勢死んだ(『武江年表』)。疫病のさなか奇妙な話が人々に広まりました。江戸の通信社の配信内容 『藤岡屋日記』、『宮川舎漫筆』、内閣文庫蔵『雑事記』にも記録されています。
文化13年の春のことです。江戸の富豪・時田喜三郎宅に飼い猫がいました。猫の飼い主は富豪だから毎日魚を買います。天秤棒で魚を担いでやってくる行商人の利兵衛から買います。行商人は猫好きでした。猫が魚をねだると、少々あげました。
ところがこの行商人がばったり来なくなりました。 近所の噂では病気だといいます。病気で行商ができず、朝夕に困るほどだと聞こえてきました(『宮川舎漫筆』)。魚の行商人は家々を訪問するから真っ先に疫病に罹ったのかもしれません。
また江戸では疫病が流行すると生魚と茸が売れなくなりました。当時の疫病の不景気は裏長屋の魚商を最も苦しめました。ところが或る夜、困窮する魚商の枕元へ猫が来ました。なんと富豪の猫でした。
魚商は「よくきた」と、なんとか「何か有り合わせの生臭きもの」を食べさせました。ところが猫が帰ると「何方より参り候か」包み紙に入った金小判があった(『雑事記』)。魚商は病気が治ると、この金小判を元手に魚を仕入れて商いを再開できました。
猫に何かあげようと、すぐに富豪の家にいきました。だが、例の猫がいません。聞けば「猫は打ち殺した」というのです。あの猫は十三両も小判が入った包みをくわえていました。さては以前、金小判が失せたのもお前の仕業だなと大勢で叩き殺したという。
魚商は驚き、事情を話しました。その小判は猫から自分が貰ったと涙したのです。小判の包み紙の筆跡を改めると、まさしく富豪のものでした。富豪も猫に不憫なことをしたと嘆き、回向院(墨田区)に手厚く葬り墓碑を建てました。オス猫だったのです。戒名は「徳善畜男」 (『宮川舎漫筆』)とつけられました。
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