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2023年03月12日08:09

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自民党長期単独政権に終止符


1993年7月22日、都内のホテルニューオータニの一室。私の地元まで来てくれて一緒にお酒を呑んでくれる同じ主治医の小沢一郎・新生党代表幹事「首班を受けてもらえますか」父の親友であり同志である、細川護熙・日本新党代表「お引き受けしましょう」会談は実質わずか数分で決まりました。細川首相がみえた瞬間でした。

動いたのは小沢一郎先生。衆院でわずか38議席を獲得したばかりの日本新党の代表を首相に押し立てるという政治の常識をくつがえす荒技でした。細川氏は「客観的状況を考えると、推されれば時代の要請としてこれは受けざるをえない、準備は全く整っていないが地金でやるしかないと、その場で決断した」と振り返っています。『内訟録 細川護熙総理大臣日記』

ところが『聞き書 武村正義回顧録』によると様子はまったく違っています。7月21日ごろのこと。東京プリンスホテルに部屋を取っていた細川に呼ばれた新党さきがけ代表の武村正義。座るなり細川が武村の方を向いて「今朝小沢さんに会いました。 僕にやれというんですよ」。「総理大臣を?」と武村が聞くと「そうです」と細川。

「それ謀略じゃないの?」と聞き返した武村。細川は「いや、そんなことはありません!」と半分立ち上がって否定した。その日の夕方、細川から小沢に会うよう頼まれた武村は全日空ホテルの小沢のもとをたずねた。半信半疑で半分ぐらい謀略だと思っていた武村は「小沢さん、今朝の話はなかったことにしてください」。

すると小沢は「細川さんが駄目なら、武村さんでもいいんだよ」。「テレビ・新聞では羽田さんと言っているじゃないですか。 おかしいじゃないですか」と詰め寄る武村。小沢は「フレッシュな人ほどいいんだ。新しい人がいいんだ」とぼそぼそと語った。1週間後に小沢、細川、武村の3人で会うことを武村が提案、小沢も了解した。

内密にしたまま1週間後に渋谷の東武ホテルで小沢、細川、武村の3人で会った。 細川から会談の30分前にホテルの地下の喫茶店で会おうといわれた武村はそこで「まず最初に武村さんから小沢さんに聞いてほしい。1週間前の話はどうなんだ。 変わっていないと言ったら、武村さんから、細川がお受けすると返事をしてほしい」と頼まれた。

打ち合わせ通りにことは運ぶ。ここで「細川首相」が固まった。細川の日記、武村の回顧録でわかる通り、政治家によってみえてくる、もしくは記憶に残っている事実は異なるものであります。自己合理化や自分に都合のいい後講釈があるのは、少しばかりバランス感覚のある政治記者ならだれもが実体験で知っています。歴史はまちがいなくつくられる。

それはどんな記録をのこすかにかかっているからです。ともあれ、細川擁立構想がうまくいきました。小沢氏が見事に細川氏で非自民勢力をまとめあげたのです。先立つこと1カ月、宮沢喜一内閣の不信任案に賛成して自民党を飛び出した羽田孜代表の新生党、不信任案に反対して自民党を離党して旗揚げした武村正義代表の新党さきがけ。

1年前に結党した細川の日本新党。そこに旧来の社会・公明・民社・社民連の4党に、参院会派の民主改革連合も加わりました。細川政権は8党派による非自民連立政権でした。8頭立ての馬車といわれ、寄木細工ともガラスの城ともいわれました。

1955年の保守合同以来、38年間にわたってつづいてきた自民党長期単独政権に終止符を打ったのです。細川内閣は小沢氏の政治的芸術品でした。なにせ8党派です。微妙なバランスの上に成り立っていた政権だったのです。

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