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2023年02月12日09:34

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弁当は、配慮。Tゼミのハイキングの思い出。

■できた弁当は�爛妊�ストピア�畍溶任�妻にフィンランドの夫は伝えた「日本の弁当を毎日作る方がクレイジー」
(ウィズニュース - 02月10日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=7295283

弁当で印象的だったことがあります。

大学生のころ。ゼミの先生が旅行などが好きな人で、ある日、ピクニックに行きました。文学部なので女子が多く彼女たちが低予算で弁当を作ってくれました。我々男性がロープウェイだったか記念館の入場料だったかのお金を払いました。
(フェミニスムとは、「弁当を作らない」…ということではないですね。「私作る人、ぼく食べる人」というインスタント麺の宣伝が批判されましたが、そういうことを糾弾すればするほど、糾弾の仕方にもよりけりですが、下手をすると問題が矮小化される。そういうことに気が付いていたと思います。さすがにゼミの仲間です。共産主義とフェミニスムに対するスタンスをみれば、その人の知性と人生経験の深みがわかります。否定するのではありません。共に、ピンキリだからこそです。)

持ってきた弁当は、廉価で気が利いていたものでした。パンを丸めて、中にジャムとマーマレードを挟んでお花畑のようにしたもの、スコッチエッグ(手間はかかるが材料費は安い)など、安くできる弁当でしたが、彩りがよく素敵でした。
エビフライなどが入っていなかったのは、作ってこなかった男子が金を払うというところに配慮したのでしょう。
安くても彩りがいい。これは相手をきちんと処遇するということでしょう。

おもてなしとは何か。相手の立場に立つということです。
だからこそ、寛容という徳性が必要ですし、相手を推し量る想像力が必要です。

ある人が夏場の炎天下に、あるアメリカ人の知人を家に招待しました。バス停から結構歩くのだそうですが、アメリカ人が来たとき冷たい麦茶を出したそうです。

そうしたら、アメリカ人は「おお! あなたは超能力者ですか! なぜ私が喉が渇いているとわかったのですか!」と言ったそうです。炎天下、バスを待ち、バス停から歩く。日本人にとって麦茶を出せば喜ばれるのは、誰でもわかる簡単な推理です。

この話を僕にしてくれた人は、「超能力とは何か。日常の延長である」という趣旨で話してくれました。だがもちろん、配慮とは何かという話でもあります。

お母さんが子どものためにキャラ弁を作ってくれたりします。
しかしそれが与えるものは、愛情というより、配慮されているという安心感ではないでしょうか。

これも大学生のころ、体育会の合宿で、春なのに民宿でおやつにお汁粉が出たことがあります。
「疲れると甘いもの欲しくなるでしょ」とおばさんは言っていました。
これなども、おばさんの愛情というより、配慮です。そういうところに泊まる安心感がありました。
だからでしょうか、ヤドカリのような食べたこともない具の味噌汁が出ても、食べましたし、夜は爆睡しました。

地獄のような合宿でしたが、今でもその宿は泊まりに行きたいです。
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