平賀源内は学問から芸術や科学にまで通じた才人です。江戸時代中ごろの博物学者・作家。浄瑠璃作家であり、小説も書き、西洋画家としても活躍した才人。科学の知識も豊富で、エレキテル(発電器)や寒暖計も作成しました。
平賀源内は、讃岐国(今の香川県)の身分の低い武士の子にうまれました。幼い頃から大変かしこく、本草学(植物・薬草学)、儒学、俳諧を学びました。二十二歳で父の仕事を継ぎましたが、まもなく長崎へ遊学しました。
そして、オランダ語、医学、油絵を学び、さらに本草学を深めました。多才な源内は、仕事は、妹の夫にゆずり、物産会(今の博覧会)を開いたり、洋書を輸入したり、さらに1766年からは奥秩父(埼玉県)の鉱山開発を行ったりました。
このとき石綿を発見し、燃えない布として幕府に提出もしています。さらに源内は、浄瑠璃作家として作品を発表。「風来山人」の筆名で小説を書き、ベストセラーにもなりました。また、自身でも西洋画(蘭画)をかき、杉田玄白に、「解体新書」の図版画家として、自分の弟子の画家を紹介しています。
電気を発生させる「エレキテル」を復元したり寒暖計をつくったりと、科学の知識も豊富でした。源内は、のちに間違えて人を殺してしまい、牢の中で死にました。多くの人がその死をたいへん残念がったということです。
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