受験生ら3人、刃物で刺される
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6813611
もちろん、犯人が一方的ともいえるほど悪いです。そして、社会も。
まず、犯人ですが、東大に来て犯行に及んだことが、象徴的です。
なぜ、東大を狙ったのか、現時点ではわかりません。
以下は、私の想像も入りますが、ご容赦ください。
ニュースを聞いて一番先に思い浮かんだのは、自分と他人の比較の問題です。
「先生、この参考書はどれくらいまでやればいいですか?」
「先生、英語は何時間やればいいですか?」
などと言ってくる人は、その質問の愚を思い知らない限りダメとは、受験指導に携わる人がみな、口をそろえます。
「何時間やればいいですか」…とは、どんな奴でも「一時間勉強すれば1のことが得られるはずだ」と言わんばっかりですが、
他人と自分は違います。
勉強時間ゼロという人が東大に入ることがあります。
たとえば、大学の語学は二単位です。つまり、授業を受ければ予習復習ナシでドイツ語でもフランス語でもわかってしまう人を想定しています。
(もちろん、「社会学」と「ドイツ語�供廚覆蕁�後者の方が数十倍大変です。それを承知しない教授や事務はいませんが、建て前が独り歩きしています。昔はその建て前に合う秀才がたくさんいたのでしょうね)
他人と自分は違うから、人と自分を比較するのはほどほどにしないといけません。少なくとも、自分だけできないことは不当でも不条理でも何でもありません。
ただ、ある種の成績不振者や人生がうまくいっていない人は、「人間はみな同じだ」から自分を差し置いて誰かが東大に入るのが、卑怯だ、許せないと思うのでしょうね。
「人間はみな同じだ」
これは、たとえば中学の先生などの大人が、子どもを指導する際の便宜から考え付いたフィクションです。そのフィクションに騙される人が悪いです。
また、社会が悪いということですが、
昭和三十年前後に葛飾で生まれた人の話を聞いたことがあります。
中学のクラスの半分は、町工場に就職。高校進学は半分。自分と隣のクラスの二人だけが、秀才と言われ、都立両国高校に入った。オレの出身校は、知っての通り東大だが、単に勉強に向いていただけの話だ。
中卒で就職したヤツも、嫁を貰って子どもをつくり、結構幸せな人生を送った。
ざっとそういう内容です。
昔は、幸福になるためには、東大に行く必要など、全くなかったのです。高校さえも不要でした。
今は、そういう状況ではなく、ごく限られたエリートしか幸せになれません。
それどころか、一流大から都市銀行に入っても、片道出向させられれば将来の保証はありません。中産層がやせ細る新自由主義の社会では、ますます、そういう傾向になるでしょう。
この事件には、そういう、政治の無策がかかわっているように思います。
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