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2021年12月06日05:26

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茨城県と言う地域は

茨城県という地域は、首都圏にありながら、北海道に次ぐ農業県として、関東平野の東北部の平坦な地域で農業県イコール後進地域のイメージで見られてきました。歴史的・風土的なこと、利根川に遮られ開発の波に曝されてこなかった地形的な関係からでした。

それが富国強兵策とあいまった技術革新と工業化が押し進められた日中戦争の前後から、茨城の地が国策展開の場として利用されるようになって一変します。例えば、満蒙開拓青少年義勇軍訓練所が設置され、青少年に皇国精神、軍事訓練、農業実習などの訓練をおこない、満州へ送り出して行きました。

今でもその拠点となった国民高等学校は残っており、記念行事が開かれています。また、日中戦争の拡大とともに、茨城県内に軍事施設・基地が設置されていき、その数は30か所近くにも及びます。茨城の長い海岸線と首都防衛のために、広大な田畑や平地林が基地として潰されていったのです。ほとんどが強制買収です。

反対すれば家に放火され追い立てられました。これらの軍事基地のなかに百里基地、神の池基地、霞ヶ浦基地の陸軍飛行学校などがあり、今なおその影をおとしています。大東亜戦争が日本の敗戦で終わり、民衆の生活は叩きのめされました。

しかし経済復興に立ち上がる際、戦争で培われた技術とその産業化が大きな役割を果たしたのは皮肉な巡り合わせでした。茨城県の開発の特徴として鹿島臨海工業地帯、つくば研究学園都市・科学万博があり、その尖兵として東海村の原子力開発があります。

これらは一環のものだと考えられますが、こうした開発は地域にどのような影響をもたらしたのであろうか。京葉工業地帯から茨城の日立製作所に繋がるほぼ真ん中あたり、鹿島灘に面して広がる砂丘地帯があります。

日本三大砂丘といわれたこの砂丘地帯を「貧しさからの解放」と「農工両全」をうたった茨城県独自の事業として、1961年から鹿島臨海工業地帯の開発がおこなわれました。以前はみるべき産業もなく、農業も米、麦、落花生などが中心で、生産力もそれほど高くなったのです。

地形的なことから掘込式港湾をつくり、住友金属鹿島製鉄所、石油化学コンビナートをはじめ関連企業が建設され、巨大な鹿島臨海工業都市が造成されました。1964年、国の工業整備特別地区と重要港湾の指定を受け、さらに首都圏整備法をも受けて、県から国の事業へと移行しました。1971年、鹿島臨海工業都市が完成したのです。

この鹿島臨海工業都市の真ん中あたりにある神の池は、現在はかつての三分の一くらいの大きさになってしまっているのですが、ここは元海軍航空隊・「雷神」特攻隊の基地がありました。大東亜戦争の最中出撃してアメリカ艦隊へ体当たりし、多くの若い生命を散らしたのです。

この開発事業にともなう土地買収や開発のスローガン「農工両全」に対する反対運動がおきたが、強引な既成事実の前に潰えていきました。開発にともなって移転を余儀なくされた農民は、土地の立ち退き料や補償金など多額な金額を手にしてカネに狂い、「鹿島御殿」と呼ばれる家を建てたり、豪奢な生活に浸り、開発をあてこんだ者たちの誘いにのって賭博に手を出すなど、しだいに荒んだ暮らしに追いやられました。

一方、農業の技術指導も一部の農業団地を除いて十分な成果をあげていないままでした。このような生活の急激な変化と企業の操業にともなう公害の発生によって、住民のうえには様々な問題が覆いかぶさってきています。

茨城県の真ん中あたりに、神聖な山として信仰を集め、万葉の昔から歌われてきた筑波山があのます。その麓に広がる筑波町、大穂町、豊里町、桜村、谷田部町を合併して研究学園都市「つくば市」が造成されました。1963年、国は学園都市建設を筑波山麓に決定し、1965年土地買収を開始しました。

JR東京環状線の内側と同程度の広大な山林・農地が失われていくことに危機感をつのらせた農民は、絶対反対を掲げて運動を起こしましたが、強大な国の権力の前に一つひとつ懐柔され潰されていきました。東京の過密化が深刻化して官庁などの移転が急がれていた。

そして教育・研究機関の移転を決め、東京教育大学を移転すると同時に新たな構想の「筑波大学」として設置し、300もの国公立、民間企業が移転しました。筑波大学は開かれた大学として注目されていましたが、開かれていたのは産・官・学協同に対してでした。

研究学園都市の概成とともに「科学万博」が総投資額6500億円を投じて開催されました。そのメインテーマは「人間・居住・環境と科学」でありましたが、テーマとはおよそかけ離れた内容の展示物でした。しかし、この「科学万博」の開催によってつくば研究学園都市は注目を受けるようになったのです。

この「科学万博」の一部跡地に民間のバイオ関連企業が進出し、とりわけ、住宅地に隣接した理化学研究所の「遺伝子組み替え施設・P4施設」は、周辺住民の強い反対があったにもかかわらず強引に設置されました。

広大な農地を潰し完全な人工都市を造成したわけですが、「筑波研究学園都市建設法」による整備計画は、移住してきた人たちの職住一体の市街化を図るばかりで地元住民の生活環境の整備が後回しにされ、在来の住民は不快感を募らせました。こうして新旧住民を棲み分けさせ、新しく造成された団地はきれいに整備されましたが、あまりに人工的にすぎることから住み心地はいいとはいえず評判は悪いと言います。

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