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2021年11月18日05:03

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江戸時代後期の浮世絵師

「富嶽三十六景」などの風景画をかいた浮世絵師と言ったら、葛飾北斎でしょう。少し前、東京ディズニーランドのレストラン「北斎」で食事をしたところ富嶽三十六景が飾られていました。葛飾北斎は浮世絵作家をしながら、日本画、洋画、中国画も学び、自分らしい風景画をつくり上げ、「富嶽三十六景」が有名な作品です。

フランスの印象派の画家たちに影響を与えています。葛飾北斎は、貧しい農民の子として江戸にうまれました。本名は鉄蔵といい、北斎には三十をこえる画号があります。十代半ばで木版画を学び十九歳のころから浮世絵を始めました。

師は役者絵で人気のあった勝川春章ですが、北斎は役者絵だけでなく、日本画、洋画、中国画なども学び、自分らしい画風をつくり上げていきました。北斎は、洋画の影響を受け、風景画をかき始めました。1831年頃、富士山の様々な風景を描いた「富嶽三十六景」を発表しました。その見事な構図と大胆な色遣いで、大変評判になりました。

さらに1834年からは「富嶽百景」を描きました。これらはフランスの印象派の画家たちに影響を与え、ジャポニスム(日本趣味)という日本美術を好む流行がうまれました。北斎はほかにも、本の挿絵や花鳥画など、いろいろな絵をかきました。なかでも人々の暮らしぶりや動物、植物などを描いた「北斎漫画」は有名です。

墨田区には「すみだ北斎美術館」があります。区立緑町公園があり、その小さな公園に面した4階建ての建物がすみだ北斎美術館です。この美術館は、富嶽三版画「十六景」等の有名な作品を多数残しました、両国は、北斎が生涯の大半を過ごした地域です。そのため北斎ゆかりの地となっています。

浮世絵師と言えば、広重、写楽、歌麿など教科書に掲載されていますが、その中でも特に北斎は日本有史以来トップクラスの芸術家でしょう。また、作品だけでなく、北斎の生き方は非常に魅力的です。北斎は、90歳で亡くなるまでの人生で、名前を30回も変えています。そのうちのひとつ、「画狂老人」は有名です。

転居すること93回、1日に3回引っ越したこともあると言います。また、100回引っ越した先人を目標に、自分も100回引っ越してから死にたいと言ったという説もあります。死を目前にした北斎は大きく息をして「天が私の命をあと10年伸ばしてくれたら」と言いった。

暫くしてさらに「天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう」と言って死んだと伝えられています。年齢を理由にしてやりたいことを諦めることなく、何歳になっても好奇心の赴くまま行動をした、生き生きと働く高齢者のお手本のような人物です。(参考「葛飾北斎伝」飯島虚心著 岩波文庫)。

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