8月28日、磐越東線は「大越駅」へ行ってきました
26日に二回目の接種。翌27日は仕事中に体中の節々が痛んで帰宅して意識が朦朧とする中、ご先祖様(平能登守教経)が現れ「これは何者かの呪いである。断層の無い安定した地盤の土地を平定すれば解けるであろう」と仰るので、翌日阿武隈高地を攻略する事に
東北本線を北上しながら沿線の「小峰城」(白河)など眺めます。
東北本線は貨物列車が非常に多いです。旅客は一時間に一本なのに、貨物は十分以内に次の編成がやって来ます。
まだ緊急事態宣言下、誰も居ない所へ行く積りが東海道本線も東北本線も始発からレジャー用品抱えた人達で凄い混雑していて驚きました
郡山駅そば「あさか」は春に閉店してしまいましたが、跡テナントには新装開店後数日って感じで新たな店が出来てました。
麺も掻揚も以前よりモチモチしてる印象です。
磐越東線を南東へ。
車内は撮り鉄が凄い数です
クリップ脚付ビデオカメラ持ってナップザックだけの軽装スタイルで運転手後車内から前方の軌道を動画で撮影するのがこの夏のトレンドのようです。みっちりと集ってるので、あぶれた鉄ちゃんは最後尾へ。
逆にホーム端に三脚据えて撮る鉄ちゃんは暑さのせいか突如絶滅した印象です。が、夏が過ぎたら復活しましたね。土日祭日の見晴らしの良いホームは同じ服装で同じ物持って同じカメラ構えた10代で一杯です。何だか強迫観念に駆られて皆一斉に同じ事してる印象です。
大越駅に到着、いわき方面を見ています。
左に見えるのは地元産の炭酸カルシウムなどを扱う「旭鉱末(株)」大越工場と旧「片倉チッカリン」(現片倉コープアグリ(株))福島事業所の肥料工場。工場の引き込み線は撤去されてます。
かつては[40]/[45]の勾配表示が見える先の雑草が生い茂る築堤にも「住友大阪セメント田村工場専用線」の引込線路が続いていました。
駅前には「鬼五郎幡五郎伝説」に因む青銅像がありますが、金余りの時代に政治家か役場の見栄で造られたものらしく、扱いはこんな感じです
線路沿いを進みますが、イキナリ蔵付の凄いお屋敷があって驚きます。
駅のすぐ南東側にある歩行者専用「鷹待田踏切」。
引込線の築堤を超える為、磐東線を渡ると左手方向にクランクして登り、改めて引込線を越える仕組みです。
東に進みます
川に挟まれた自然堤防と思われる小台地状を上がると昭和な平屋の並びがありました。
おそらく石灰採掘場や関連工場での労働者向けに最盛期には沢山建っていたと思われます。
まだ殆どの家に人が住んでおり、手入れ状態や防火水槽など見所満点です。
20m程で台地を通過し、向こうに農村の原風景が現れました。
画面右手の高まりに「上の台(水口)館」跡。
イセキのディーゼル耕耘機「KA750」、しかも前照灯2個タイプじゃありませんか

文字通りトラクター(牽引車)として使用してるので、耕耘ブレードとカウンターウエイトは外されてます。
屋根はかつては藁葺だったのでしょう。スパルタンな煙出しなど自己主張が格好良いです。
ヤドリギが木に丸く見えるのも注目点
館跡へと登りつつ、元来た方向を眺めます。
平屋の建ってる辺りが田んぼよりやや高いのが分かります。
シダ植物に覆われてる郭?
その奥には左「ココドさま」(由来不明)、右「天王さま」。
この地域では八雲神社を天王さまといって祀っているようです。
上の台館跡からの眺め。
画面真ん中の山が「大越城址」。左に切れ目が見えますが大がかり過ぎるので人工の掘切では無さそうです。
右手木立の方向が駅。
先日のカマキリ先生でも大活躍の「マユタテアカネ(オス)」
トンボは各種凄い数が居ました。
引込線築堤下から。画面中心の草の斜面の上が館跡。
この部分だけ迫出すような不自然な形状なので崩落跡なんでしょうか。
田んぼには刺さった竹竿の先に土壌検査済の札が挟んであって、原ノ町で目撃したのと同じです。
引込線の築堤は高さが増してるので道路は隧道で往来と成ってます。
左手に「工業団地関係車両侵入禁止」の立て札。土着の農家や街道の商家と、かつてのセメント工場関係者とは悶着があったらしく、地元民専用道が各所にありました。それがそのまま跡地の工業団地へと対決の構図がシフトしてるのでしょう。
廃線下の隧道を超えると磐東線の「時田踏切」。
廃線あるところ城址あり、真っ直ぐ行くと大越城址です。
振り返ったところ。
再び築堤の東側に戻りました。
駅方向を見ており、画面右の小道に入ります。
槻木公民館から、画面真ん中に上の台館跡。
「槻木八雲神社」。地域にいくつかある天王さまの本体です。入り口が右ではなく左に寄ってるのが興味深いです。
また、先ほどの小道に幟枠がありましたが、道の両側ではなく片側でした。この地域では他の神社も同じスタイルです。また、先のココドさま天王さまのように、近くに小型の社(名称不明)があります。
続いてまた廃線をくぐって槻木踏切です。
今度は鯱が乗って破風も立派な凄いお屋敷が出現
鬼瓦は「忠」の字と陽炎が付いた特注品?
剪定のセンス、なまこ壁などこれでもかという凝りよう。
画面右外にはお寺かと見誤るような木造ガレージがあり、入口のホイスト、趣味的四輪、二輪車両群、工具、分解整備状態から見て見栄っ張り土地成金ではなく、主人は分かった人物だと思われます
また、これだけ凄いお屋敷にも関わらずどこにもエアコンの室外機が見当たらず、猛暑日の中窓を開け放っています。
このお屋敷だけではなく、周辺の民家や商店にも室外機が見当たらないので、夏は風通しで、冬はストーブで室内温度を保ってるようです。
再び築堤の東側に戻って駅方向(北)。
柵と共に「立ち入り禁止 住友大阪セメント(株)」の札が見えます。どのみち雑草が凄すぎて上には登れません。
反対の南方向。
遠景の山に白く見えるのが石灰岩採掘場です。
住友は既に撤退しましたが別の業者が採掘を続けており、石灰岩原料の加工工場も先の駅前のように点在しています。
因みにここら辺りは河川堆積物、両側の山は大陸由来の深成岩の安定した岩盤なのですが、採掘場周辺だけ南北方向に泥岩と石灰岩で、白いのが石灰岩の層、黒く見える泥岩に達すると採掘を横方向へって感じでしょうか。
真ん中のこんもりが槻木八雲神社、その向こう真っ直ぐに上の台館跡があります。
築堤と道路がカーブを描きながら東方向へ曲がって行き、道路は坂道と成って築堤と高低差を詰めて行きます。
築堤に切れ目がありますが、ここには元々鉄道コンクリート橋「薬師堂架道橋」があり、橋台ごと撤去されてます。
築堤斜面には桜が植えられてましたが、道路拡幅を築堤側に行った際に撤去されたようです。
民家の向こう、セメント工場跡地に真新しい「田村市産業団地」が見えてきました。
「バイオマス発電 断固反対」の立て札や幟があちこちに立ってます
現産業団地に到着。引込線は道路の右側を奥の黒く見える切通まで続いてました。溜池は線路跡に掘られたもの。
写真では分かりませんが、採掘場とセメント工場はベルトコンベヤーで繋がれていて、右手の木立にその為の切り欠き跡が今でも残っています。
元来た方向を振り返ります。
廃線跡は何故か頂上部だけ雑草が生えておらず、バラストの痕跡らしきものも見えます。
左方向への道は新設されたもの。元々は地元民専用トンネルが線路下に下ってありました。
消火栓の標識が雪害対応なのにも注目。
廃線の反対側(南側)にも平行する工場用道路がありましたが閉鎖されてます。
が、その下の木陰にも平行して土着の道路があります。
廃線跡上から。線路は真っ直ぐ正面方向に。
左手方向がバイオマス発電所とチップ工場です。
反対派は「バイオマス発電は隠れ蓑で、実際は原発事故汚染廃材や汚染樹木を焼却処分する為のもの」と主張しています。誘致推進した県や市も疑われても仕方のない密室決定や秘密工作、協定反故をしてしまっていて問題だと思います
真正面の黒い部分は機関車が折り返せるように山を切り通して線路を敷設した跡。その窪みをセメント工場解体の際に出た有害物質の廃材や土壌で埋めてシートを被せてあります。反対派は原発事故汚染物質もドサクサで入ってると主張しないのでしょうか。
築堤の南側にある木陰の古い道へ。
ズンドコ進むと磐東線が見えてきました。大越城址は右手の山です。
線路には元々歩行者専用踏切があったよう(警報装置や遮断機は無し)ですが、現在は勝手踏切のようで横断禁止の警告文が見えます
北側は薬師堂架道橋跡で、先ほどと反対側から見ています。橋台ごと撤去されたので築堤が崩れないように橋の取り付け部は斜面に成ってます。
立ち入り禁止札が見えるのは閉鎖された線路平行道路。
「第四小野新町踏切」。大越駅(北)方向を見ています。
線路が曲がる所から引込線と並走に成ります。
踏切周辺にはやはり「バイオマス発電断固反対」の幟が多数立ってました。
踏切を渡るとタイミング良く郡山行きの列車が
列車は片側1〜2時間に一本です。
画面左端には水路の工部省鉄道境界標が並びます。
踏切から旧岩城街道(現県道19号)を北西に向かって進みます。
昭和な看板建築が並びますが廃屋も多し。バイオマス発電断固反対の手書き看板もチラホラと。
下は牧野川。その向こうに磐東線と廃線築堤。画面真ん中やや左が鯱のあるお屋敷と槻木踏切です。
元来た方向を振り返ります。右手の盛り土は小学校の校庭。
このお店はかつては喫茶営業もしていたようで看板もありますが、現在はパンと煎餅の製造卸に徹しており小売りもしておらず。
周辺、飲食店が全然ありません。あっても営業してません。
「大越娯楽場」が見えてきました。背後の山が「見渡神社」と大越城址。
真東を見ると時田踏切が。
画面左手の電柱の補強の根本には「巳已供養塔」が。己巳供養塔とは違うのでしょうか。
元来た方向。
右手の路地に入って行くと城址です。
大越娯楽場、1926年築。設計:今和次郎
セメントラッシュより前の時代、この地域では煙草栽培が奨励され、宗像利吉小野新町煙草耕作組合長が労働者の娯楽施設として建築しました。
映画・演劇・講談の娯楽の他、煙草の葉や蚕の繭の出荷作業場としても使用されたようです。
丁寧な延命工事が定期的に為され、現在は武道場として活用されている現役施設です。
中を覗きこむ
路地を入って背後から。
現役施設なので度重なる塗装で色調の変更(意図的にイメチェンしてると思われます)や窓のアルミサッシ化などの手入れの結果、歴史建築には見えません。が、私は使い続ける事は良い事だと思っています。観光誘致で集金目的の改造を行いテーマパークの作り物と区別が付かなく成ってしまった各地のナンチャッテ現物より何倍も輝いて見えます
城址への急坂を登って行きます。
「観照寺」。入らなかったので名物の「大榧」はどれだか分かりません。
右が登城道。
お寺の入口にはお地蔵様の他、「空 生 捨」や「供養三界番萬霊」の碑などが並びます。
右(北)を見上げると「見渡神社」が。愛宕神社も隣接してあるようです。
もう少し登ると旧表参道入口がありました。
さらに登って振り向いたところ。
採掘場やカーブする廃線築堤が丁度見えるロケーションは何かを暗示してるようです。
すぐ下の家は神社関係者でしょうか、旧表参道に隣接して家名入り角石の凄い石垣の上にあり、離れが中々味わい深い作りに成っていて思わず凝視してしまいます。
また、「鏡池」跡地がありますが、今は池は無かったです。
石灰岩露天掘り採掘場のアップ。
画面左端山頂にポツンと飛び出してるのは航空自衛隊「大滝根山分屯基地」の警戒管制レーダーサイトのドーム。
最も高い場所にある自衛隊基地だそうで敷地内に一等三角点がある事で知られます。標高1192mに因んで「イイクニ守ろう」がスローガンなんだとか
つづく。
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