mixiユーザー(id:7170387)

2021年10月24日08:11

304 view

東海地方の有力な戦国大名

東海地方の有力な戦国大名と言えば、今川義元でしょう。駿河、遠江国をおさめた戦国大名です。各地の戦国大名の手本となる法律を定めました。織田信長と対立し、尾張の国へ進軍しましたが、信長に桶狭間で奇襲をかけられて戦死しました。

今川氏は足利氏の一族という名門で、駿河国、遠江国(今の静岡県)の戦国大名です。義元は四歳で出家して寺に入りましたが、兄が死んだため、義元が家をついで大名になりました。歯をおはぐろでそめたり、髪に香をたきしめたりするなど、義元は貴族の習慣を好んだといいます。

義元は三河の国(今の愛知県)を攻めとり、東海地方の一大勢力となりました。義元は広くなった国をまとめるため、父の定めた法律「今川仮名目録」三十三か条に、さらに二十一か条を追加しました。これは、各地の戦国大名の定めた法律(分国法)の手本になるほど、すぐれた法律でした。

1554年、義元は甲斐国(今の山梨県)の武田信玄、相模国(今の神奈川県)の北条氏康と同盟を結び、背後をかためました。そして1560年、対立する織田信長を攻撃するため、2万5千とされる大軍をひきいて尾張国(今の愛知県)へ向かいました。

尾張国に入った義元は、織田信長の砦を、次つぎ落として進みました。しかし、桶狭間という谷で休憩中のこと。油断していた義元は、十分の一程度の信長軍に奇襲をかけられ、戦死しました。

今川義元は桶狭間の戦いで負けて今川家は滅亡したと思われた方がいるとは思いますが、子どもの氏真が1914年77歳で亡くなるまで徳川家康の客人として暮らしていた。江戸時代には旗本となり現代までながら居ていたのです。

6 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年10月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る