この書評めいたものは、次々と書き足す、あるいは、パート2などの形をとることにします。
村瀬さんのこの本は、西洋思想を批判的に再解釈する手掛かりとして、強力です。
まず、頭の中がすっきりしました。
我々は、東洋人です。だから、ニーチェやハイデッガーは、「何を今さら…」という感情をもって読んでいました。
実際、私が岩波文庫の『存在と時間』を精読したのは、最初のフェノメノンのところです。
何でなのか。
村瀬さんの本を読んで、当たり前のことを見落としていたことに気が付きました。
存在者(Seiendes)は、存在様態を付随させた存在ですが、それがクセモノ。その背景に存在(Sein)があるという考え方は、キリスト教的であり、キリスト教の伝統を無条件で肯定しているからです。
感情についても同じです。
我々は、神を持ちません。だから仕分けることもできませんし、恐怖の分類は出来ません。むしろ大切なポイントは、われわれが世界内存在をしていると思い込んだとたんに、反証可能ではない、恐怖の対象やゆえんが生れるのではないでしょうか。
それは、キェルケゴールが捉われた二項対立を思わせるものがあります。
ひょっとしたら、本書を読んで思考することが、西洋哲学への決定的な決別になるかもしれません。それほど、ポイントを的確についている本です。
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