奈良街道を徘徊した日、刑務所に入りました
先の日記の三角屋さんの前の道を登っていくとレンガ塀が見えてきます。
奈良監獄の表門(正門)が見えてきました。
施設は廃止されていて、最終名称は「奈良少年刑務所」です。
今後は改装されて監獄リゾートホテルとして生まれ変わります。
本館(庁舎・中央看守所及び事務所)。
奈良交通のボンネットバスが記念撮影用に召喚されてます。
施設の設計は山下啓次郎で1908年竣工。
手前は音楽の演奏スペースです。
演奏者は松岡美穂、船岡伸之、ジュスカ・グランペールなど。
以前の見学会では設計者の孫、ジャズピアニストの山下洋輔さんが演奏していました。
庁舎に入ります。
昭和10年頃とされる模型がありました。
放射状に配置された収容棟の中心、監守が立つ監視所に到着。
真ん中の第三寮は工事の為か中が見えないよう封鎖されています。
南方向の第五寮。
監獄グッズ臨時売店もあります。
収容棟を放射状に配置するのは公式ではハビランドシステムとされてますが、実際この思想形式の監獄はもっとずっと古くからあり、通常はパノプティコンと呼ばれます。
ハビランドシステムのジョン・ハビランドと、航空機メーカーのデ・ハビランド社(現ブリティッシュ・エアロスペース)の創業者のジェフリーや、その従妹で女優のオリヴィアとが姻戚関係かどうかが調べても分からず今後の課題です。
第三・四寮に向かう通路の間にはトイレが設置されてます。
第二寮の通路。
右手に入ると洗い場です。
監視所から寮への通路はゆっくり下り坂で、明り取り窓があります。
第二寮(第二分房監)。
第四寮(夜間寝房)から監視所方向。
二階の通路の真ん中が開いているのは看守が上下を同時に監視出来る為と説明されてますが、明り取りの目的が主ではないかと私は思います。
日差しの方向の関係で、寮によって明るさが違ってきます。
房の扉。
食事の差し入れ口から中を覗いた図。
独居房(単独房)のトイレと蛇口&洗面台は、ワンルームマンションのように配管の便で左右対称交互に部屋が並んでます。
百ボルト電源コンセントとテレビ用端子も配線されてます。
入り口横に元々からある手水がありますが、新しい水道洗面器の設置と共に配管が廃止された模様です。
独居房から通路方向を見た光景。
赤矢印の装置に注目。
部屋の中の穴に見えるロッドを押すと・・・
ドア横の黄色い札がシャキンと倒れて出て緊急事態を知らせる仕組み。
装置を取り外した穴。
漆喰の白い壁の中はコンクリートではなくレンガだと分かります。
倉庫のドア。
ロック機構が分かります。
第四・五寮への通路の間は重屏禁房(マル房)が設けられてました。
円筒形の禁房の周囲に狭い回廊が設けられてる構造で、戦艦の装甲司令塔みたいです。
中は真っ暗で、やはり下に食事用の小扉があります。
何もかも狭いので全体が写真に納まりません。
通路の鋳造マンホール。
第五寮から雑居監附属工場に向かいます。
人が見えるところは二階に向かう階段入り口です。
寮と工場を接続している通路の両側も実習室に成ってます。
工場(第一実習場)内に入りました。
機械類は勿論既に搬出済です。
電球の傘は、熱気抜き有り無しと二種類確認しました。
梁の装飾も見逃してはなりません。
斜めに成ってる部分は二階に向かう階段の裏です。
一部、二階の支えが鉄骨補強されてました。
実習で製造されたレンガ等が残されてます。
工場の窓から見た拘置監。
手前には構内仕切兼男拘置監浴場接見所等が建ってましたが既に解体、更地に成ってます。
工場内から第五寮を望む。
振り出しに戻って、階段を二階に登ります。
第二寮の階段部。
監視所方向、棟と接続部の上のアーチの漆喰塗りが3箇所の要石だけ塗り残されてるのに注目。
階段の上の踊り場は水場に成ってました(洗面台は全て取り外し済)
第三寮前から監視所方向。
奥の庁舎内は講堂に成ってます。
講堂。
画面右端、温水暖房のラジエターにも注目。
窓から北側。
手前は構内仕切兼病監浴場接見所。
その向こうに北倉庫(食糧庫)、医務所。
角度を変えて。
第一寮、周囲煉化(レンガ)北塀。
更地には給水塔や各種実習室が建ってました。給水塔のコンクリ基礎が見えます。理容科の実習場「若草理容室」は一般の人も格安で利用出来ました。
講堂の入口方向、収容人数を稼ぐ為か中二階が増設されてます。
掲示や肖像、メダリオンの類は既に取り外されてます。
監視所に戻りますが、両側にはクラブ活動室と礼拝室が設けられてます。
礼拝所は三つ、左から基督教、真ん中は仏教、右はイスラム教と思いきや、天理教なのが流石奈良です。
ドアに注目。
ドアノブはなく、監房以外のドアは回転ノブの代わりに取っ手に成る固定板金が付いてます。おそらく看守がドアノブに相当する共通回転キーを持っており、差し込んで回した時のみドアのラッチが引っ込みドアが開く仕組みだと思われます。
再び監視所へ。
監房通路の様子が明るくよく見えます。
第一寮(第一分房監)へ。
監視所方向を望みます。
監房の番号は監視所方向から反時計回りに振られてます。
監房と中央看守棟の間は窓の巧みな配置で特に明るく、肉眼で見ると監視所からは監房通路がよく見え、逆に監房側からは監視所は薄暗くよく見えないという工夫が為されてると推察されます(デジカメでは全体が明るく写ってしまいます)
こちらは第五寮(雑居監)
部屋は数人収監されていて広いので、ドアの間隔が他より開いてますね。
雑居房の中の構造は基本独居房と変わりませんが、トイレを囲んだ仕切りが設けられてます。が、高さは人の背丈くらいで独立個室ではなく換気扇も無いので匂いは防げません。
収監房通路の天窓。
建物は純煉瓦造りで、木骨レンガ構造の富岡製糸場、鉄骨レンガ構造の東京駅とは全く異なる建て方です。
二階両側が外に開く力に抗う為、天井の梁と通路側壁を三又ロッドで連結した一種の張弦梁構造で補強がされてます。
第四寮(夜間寝房)の突き当り付近。天井から提げられた電撃殺虫器に注目。
扉が外された仕切り(真ん中は透明アクリル)柵がありますが、理由は分かりません。
さらに奥の工場は既に解体されてます。
第五寮から工場への入口。
アーチの要石と、取り外されたおそらく「非常口」の表示ランプ跡、レンガと漆喰の境目など見所満点部分。
工場二階。
屋根を支える西洋式構造や継ぎ手がよく見て取れ美味しいです。
各材木には名称タグが貼られていて、この天井自体が建築の教材として機能していたのが分かります。
梁に立つ二本の柱で屋根を支えて、その周囲を三角(トラス)構造で仕切って強度を増していく「クイーンズポストトラス構造」です。因みに屋根の頂点からの一本の柱を中心にトラスで区切っていく構造はキングスポストトラスと呼びます。
工場から北方向を望みます。
庁舎内での展示物。
庁舎頂上の「ギボシ」。
制服類。
昔の被告人が被った編み笠とレンガ構造から取り出したサンプル。
理容室の看板。
写真の展示も多数ありましたが、特に気になったのがコレ。
昭和15年(1940年、つまり戦前)とありますが、トラックは1941年から製造開始された米GMC社の軍用トラックCCKW(オープンキャビン型)です。左ハンドルなので少なくとも国産ではありません。
ナンバーの数字が6桁なのとNARAの表示があるので進駐軍駐留後から1951年の道路運送車両法制定までの間と特定出来ます。トラック自体も連合軍払下げで間違いないでしょう。
他にも建築図面等多数で知恵熱が出そうです。
庁舎の北側の構内仕切兼病監浴場接見所の通路。
通路沿いにトイレや厨房などが並びます。
医務所。
ドアの受付構造部分に注目。
また、医務署内のドアだけはドアノブのある普通の構造です。
コアドリルという工具を使ってレンガ構造施工サンプルを抜き採った跡です。
処置室にはあらゆる種類の蛇口がありました。
また、電源も医療直流など各種コンセントが並んでるのが見られます。
医務所の北隣には病人向けの第六寮(病監)があります。
他の監房に比べるとポップで明るい雰囲気です。
ドアと床が部屋によって色分けされてます。
また、仕切り付きトイレや洗面台も勿論設置されてます。
トイレは部屋によって複数だったり。
どこを見ても美味しい要素が。
医務所前の庭園。
牢舎(ギス監)と隔離病舎(精神病躁狂監)
隔離病舎は裏側にも鉄扉があり、用途は病室として廃止後に倉庫として使う為に改造されたと想像。
牢は元々江戸時代の奈良奉行所(現奈良女子大)の北に隣接していた牢屋敷から2つ教材として移設されたもの。
ポットン便所は片方は蓋付で保存されてますが、勿論実用ではないので下は掘り下げられてません。裏には汲み取り蓋が転がってました。
全体の作りは大八車同様に鉄ロッドで枠を絞めて箱構造にしてるのが興味深かったです。
有刺鉄線(鉄条網)はほとんど撤去済でしたが、部分的に残された場所も。
主に高い場所によじ登るのを阻止します。
触れると警報が鳴る防犯線は全て撤去されてました。
構内仕切りを抜けて西側の第一寮方向へ抜けます。
昔の倉庫でよくある吊スライド扉にも注目。
左の構内仕切り手前は、実習で焼かれたレンガだと思われます。
その向こうはレンガの基礎部分だけ今話題の日本煉瓦製造会社(深谷)製か輸入レンガだと思われます。
第一寮の東側。
各部屋の外側には部屋番号が書かれてます。
配管は洗面台と便器用。それらは監獄が作られた当初は無かった後付けであると分かります。
後に増設された建物は解体されているので、接続部の痕跡も興味を引きますね。
構内仕切りと周囲煉化塀の間には隙間があって柵が設けられてますが、通し視界を確保する為だと思われます。
塀の番号札は防犯線ナンバーを示すもの。
北周囲煉化塀。左は敷地拡張工事で延長されたコンクリート塀。
第二寮を東側から。
中央看守所。
第一、第二寮の間。
第三、四寮の間。樹木の寮の間は実習教室がギッシリ建ってました。
仮設柵の向こうは工事の為に入れません。右端が工場。
第四、五寮の間にはプールや布団干し場がありました。
北塀のレンガとコンクリートの接続部。
庁舎東側に戻って、銅板屋根、暖炉煙突、日本瓦、レンガの雁木装飾など情報密度の濃い部分の観察をします。
構内仕切兼男拘置監浴場接見所(右)の南は切り取られて新たに建物が建築されましたが既に解体され壁だけが残ります。
南の立ち入り禁止区域の拘置監との間は西洋庭園だったようで、勿論これは医務所前の日本庭園と共に庭師の実習に使われたと思われます。
南倉庫(庁用品、非常用品など)前には仮設売店奈良マルシェで買い食い用に休憩テーブル椅子が置かれています。
左端には私の嫌いなアルミリヤカーが(笑)
構内仕切り塀。
周囲煉化塀の上端は内側に角Rが丸く付けられており、外からクラップネル(四爪、三爪鉤)が投げ込まれても引か掛からない対策なのだと考えられます。
向こうには菜園(畑)があって、やはり農業実習に使われていたと思われます。
正門の南側。
大塚康生先生の初代ルパン三世ごっこをしたくなります。
刑務所隣の植村牧場が奈良マルシェで出店しており、配給された食券を使って牛乳とコーヒー牛乳を頂きます。超美味い。
向こう側に見えるのは北倉庫で、若草理容室の利用券売所窓は新しいレンガで塞がれ元に戻されて博物館に改装済みでした。
また、音楽演奏の指定席券もチケットに付属していますが、聴いてる客は3人くらいしか居ません。
コロナ禍前の第一回公開は入場料500円、二回三回は千円。が、今回は旅行商品として人数制限完全予約制で販売され、一番安い現地集合現地解散プランでも5500円もしました。十倍の高騰ですよ。で、この敷地規模なのに見学時間が1時間30分しか設定されてないので、皆音楽どころではありません。
でも若い女の子が沢山来ていて、おそらくジャニーズ映画のロケ地の影響だと思われます。また先日ドニーイェン祭りでトークショーやった谷垣健治監督の「るろうに剣心」最新作でもロケが行われてます。
因みにこの日の演奏出演者の方々の演目はカントリー&ウエスタン系で統一されており、滅茶私のストライクゾーンなのですが優先順位というものがありますので惜しい限りです。
庁舎とボンネットバスの運転手さん。
バスは見学出来ますが、それどころじゃない。
駅からボンネットバス送迎プランってのもありましたが、送迎バスは門までは来ず下車後15分歩きますって誰が申し込むんじゃい?
門の裏のコンクリート補強は石造りっぽく見せかけて建築美観に溶け込んでて左官屋の腕前が光ります。
外に出て塀沿いに南に向かいます。
赤い部分は割れ目を補修した痕跡を意図的に目立たせているものです。
南東側の端。
塀の角が丸く面取り形状に成ってますが、これでは監視上死角が出来てしまいますが大丈夫なんでしょうか?
東大寺がこんな感じで見える素晴らしいロケーション!
塀南側の謎のレンガデテールとそれがもぎ取られた跡。
この内側には防火水槽があったはずで、水道関係設備の屋根を支える耳だったのでしょうか。
元来た東方向を振り返ります。
コンクリート塀との外部境目。
レンガ部は抜き取ろうとした痕跡があちこちにあって、定期的に盗もうとする輩が居るらしいですが、でも丸ごと一個は抜けないので半端な凹みが沢山あり景観を壊しています。
西側のコンクリート塀。
扉の取っ手にも注目。
塀の北西端から北側の広場。
グランド兼駐車場だったようです。
その北から。
背景は若草山。
グランドの東は職員宿舎や署長官舎?があります。まだ建てられたばかりと思われる棟とありますが、今後解体だと思われます。
敷地内樹木にはご覧の札が。
北側の塀を外から。
壁面に「フォトプロテクト工法試験施工2004年」のプレートがある部分があります
http://www.fujita.co.kr/environment_3.htm
観光監獄ホテル化の工事の一端か、交通の便が悪いので西側(奈良街道の反対側)からアプローチする道路から作り始めています。
というか、最近知事のトンデモぶり(つまり主体性の無い土建の操り人形)が全国的に露呈してしまいましたが、奈良市周辺は土建に金を落とす事だけが目的と思われる不思議工事や建築、その計画がもの凄く多いです。
マンホール。
大阪ドレネージ工業製。
建築設備用排水管継手・排水器具等の製造、販売をしている会社で磯城郡田原本町に奈良工場があります。
真ん中は奈良市章ですが、上の常夜灯マークは何でしょうか?。水道を統括する奈良企業局のマークでしょうか?
おしまいだす。
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