3月20日春分の日、早朝の奈良
桜はこの時点で三分咲きでしたが、日が昇るにつれてどんどん開花
周囲に人影がなくは鹿しかおわしません。
「南都銀行本店」1926年。
設計:長野宇平治。
「吉本金物店」。
度量衝器販賣所の看板が泣かせます。20年ほど前の旧量計法廃止まで物差しや重量計などの製造販売は資格と検査があった名残ですね
「寺川道具店」。時間的に閉店していますが、ちゃんと営業しています。
右の朱塗りは「初宮神社」。
左は「奈良警察署旧鍋屋連絡所」(巡査派出所)交番。1908年。現在は「きたまち観光案内所」として転用されてます。
「奈良女子高等師範学校」(現奈良女子大学)正門、守衛室、記念館。1900年。
設計:山本治兵衛。
この周辺は暗渠も面白いのですが、その話はまたの機会に
奈良街道を北(京都方向)に進みます。
大和棟の建築習慣から近代化され建てられたと思われる構造の商店が並びます。
京都の町屋造とは明らかに違います
新道と旧道の分かれ道。
元来た方向を振り返ります。
南の奈良公園の方からゆるい下り坂で、再びゆるく登ってるのが分かり、平城京の西方向への水捌けの良さの一環が見て取れます。
旧道は突然の急坂で、取り付け替えられたのも分かります。
元来た方向。
このまま直進して頂上は奈良刑務所ですが、奈良街道はここで右方向のクランクに成ってます。
頂上の台地をしばらく行くと、鹿煎餅の製造元「武田俊男商店」があります
女将から瓦の説明を受ける、きたまちガイドさんの図。
今のご主人は三代目で、見学させてもらいました(要予約)。因みに二代目が社名の俊男さんです。
今から半世紀ほど前に奈良のアイドルだった通称「白ちゃん」の写真
ひつじのショーンみたいに頭に白い帽子状の毛があるのが特徴。
この辺りの鬼瓦は小槌がモチーフで、武田さんにも飾られてましたが由来は不明。
鰻の寝床を奥に向かうと、オバチャン達が煎餅を十枚ずつ束にしています。
さらにその向こうに30年ほど前に導入された自動煎餅焼き機があります。
熱源である為、夏の工場は灼熱地獄と化すそうです
「しかせんべい」の原料は、米糠と小麦粉です。
それに水を加えて混ぜます。
手前は自動で混ぜる機械。
向こうではポリバケツに電動ドリルの先に「ミキサー」といアタッチメントを付けてオバチャンが手動で混ぜてます。「自分も石膏の攪拌でやった事があります」等と会話。
機械は職人のオッチャン一人で動かします。
自動で焼いていくので、基本焼きあがって下から出て来る煎餅をトレーに落とし、焼きプレートに食用油をひたすら塗っていきます。
煎餅の元がプレートに押し出されます。
蓋が閉まっていき・・・
閉じた先がオーブンで、上を進んで向こう端で下に回って戻って来るベルト構造です。
焼きあがった煎餅で一杯に成ったトレーをオッチャンがどけていても機械は容赦無く動き続けます。
でも、プレートにくっついた煎餅を自動で掻き落とす治具が付いてるので大丈夫
出来立てを食べさせて頂きました。
人間が食べる物と同じ原料を焼いただけなので人間が食べても全く問題ありません。
香ばしくて美味しい。梅ジャムとか挟んで食べると最高です
焼き上がった煎餅は簡単に冷えないので、しばらく木箱で寝かします。
オバチャン達は、煎餅を10枚ずつ紙の留め帯で束にしていきます。
紙は鹿が食べても大丈夫なように樹脂が混入していたり化学薬品を使っていません。留める糊も澱粉100%のやつです。なので鹿が束を丸ごと食べても害はありません
昭和な工場な内観。
提灯は東大寺から頂いた由緒あるもの。
ここでご主人は配達に出かけてしまいました。
女将さんが完成した束を配達用の1斗缶に詰めていきます。
正面に楽譜が貼ってあるのに注目。
なんと女将さんは和太鼓チーム「宝亀殿」の方でもありました
お水取りで使われる竹を2月11日に転害門で迎える「お迎え式」での演奏がチーム活動の最重要任務です。
ご主人はご主人で、何と奈良豆比古神社の重要無形民俗文化財翁舞の演者をされています。翁を演じた時の写真を見せていただきました
何と予想の何十倍も得るところがあった見学でした。
さらに旧奈良街道を北に向かいます
十年以上前に廃業された銭湯ですが、「錦湯」の屋号を残されてます。
味わい深い建物ウオッチ。
犬矢来は奈良ではあまり見かけません。
境界標ウオッチ。文字は読めませんでした。
「奈良豆比古神社」に再現された高札場。
境内には「宝亀殿」の太鼓の倉庫もあります。
さらにその奥まったところにヒッソリと「クスノキの巨樹」
窪地の斜面に立つので幹を見下ろす形に成るのですが、それでも上は全部視界に入らないくらい凄い木です。
光仁天皇の兄に所縁があり、樹齢1200年とされます。
さらに戦没者慰霊追悼碑を発見
遂に台地の端、旧道と新道が再び交わる地点に到達して後ろを振り返ります。
元来た道を戻りました。
「般若寺」楼門。
「植村牧場」の木造牛舎。1890年頃。
小槌の鬼瓦に注目。
「夕日地蔵」
昔は坂には民家などはなく、西を向いた地蔵群は夕日に輝いていたと思われます。
正面、突き当りを右に行くと奈良監獄の地点に戻ってきました。
左手が「北山十八間戸」、真ん中やや右が「旧奈良坂水道計量器室」1922年。
キャブレターなどにも使われてるベンチュリー管を使って流量を計かります。
境界標がこんな下に。盛土で造成した事が分かります。
「北山十八間戸」は元々鎌倉時代に、癩者(らい病、現ハンセン病)救済を目的として建てられたのが始まりです。
何度かの移転と建て替えの後、ボロボロに崩れかかっていたのを20年前に現在の形に解体復元修理が行われました
見学は予約が必要で、管理は隣のお好み焼き屋「三角屋」さんに委託されてます。
南側に庭が。避雷針が立ってます。
東大寺や若草山など奈良の主要部の寺院がよく見えます。勿論、患者の養生の為のロケーションです。
三角屋の女将が雨戸の”落としサル”のロックを外す「鍵」を取り出しました
きたまちガイドさんが「チャララ〜」と必殺仕事人のBGMを口ずさみます。
鍵を鍵穴に入れて・・・
中が見えないので手探りで回します
開きました。
中に入ります。
敷居にサルが填まる臍穴がありますね。
向こうに周辺から再開発で集められたと思われる灯篭の玉石がゴロゴロ大量に見えます。
落としサルに鍵を引っ掛ける切り欠きが見えます
そして鍵穴を中心にグルグル回して探った傷跡が丸く残ります。
日本家屋なので廊下はありません。部屋同士が繋がり、向こうは真っ暗です。
梁も元々の物なので凄い材木です。
奥から入り口の部屋方向。
部屋の天井は普通の板と、網代天井の二種でした。
入り口を開けた部屋は大部屋で、現在は施設を作り社会的弱者の救済に尽力した「忍性」を偲ぶ法要を般若寺が中心と成って行われています。
金具はその際の緞帳用でしょうか。
入った雨戸と反対(道路)側の敷居。
本来は楔が雨戸を固定している筈ですが、どの戸もご覧の状態。まぁ、侵入しようとする者も居ないでしょうけど。
再び外へ。
避雷針の右横に外からの本来の入り口が見えます。
その中は奇麗に修理されていてご覧の通り。追加された防災電源と思われるヒューズボックスも木製で、観光地でよくある違和感満点復元とは一線を化してます
避雷針の碍子。
そして敷地内に無造作に転がっていた謎の軸。
キーを使う加工がされてるのが超気に成ります。
丁度昼時だったので、女将さんが気を利かせて閉店中のお店に入れてくださいました。
「すし入りお好み焼き」???・・・・すじか
営業予定ではなかったので、具材がある豚玉と焼きそばを焼いてくださいました。
これまたトークが面白過ぎるオバチャンです
三角屋は三代前に鉄板焼き屋として開業。
現女将は岡山から嫁に来たそうです。
超美味いわ。今度はちゃんとお好み焼き屋さん目当てで三角屋へ行きたいです。
解体修理前の様子の写真がありました。
石碑は大正十二年に史跡天然記念物に指定された際に建てられたもので現在もあります。
西側に上がったところ。
北山十八間戸と水道計量器室が見えます。地蔵尊の類もそこらじゅうにおわします。
三角屋の向かいにある廃屋。
その裏側。
奈良街道を下って南に戻ります。
「北向地蔵」。
新旧奈良街道の分かれ道に戻ってきました。
よく見ると、この間に信号機が電球からLED式に付け代わってます
因みにLEDは輝度を上げる為に人間の目では見えない間隔で点滅を繰り返してるので、写真に撮ると消灯してるように写る事があります。
横道に入り、「旧細田家住宅」(非公開)
周辺は今も細田家の敷地で新旧の家や蔵が建ってます。
「市立鼓阪小学校・本館&講堂」1936年。
超有名芸能人の出身校としての方が有名かもです
小学校から奈良街道に戻ろうとすると「転害門」の裏側に出ます。
表にまわって、肘木の一手先三斗組や格子天井など見所満点。
昔は平民は門から先に入れなかった為、お供えをする窪みが石組に彫られてます。
奈良街道から。
向かって左隣に「旧南都銀行手貝支店」(現きたまち案内所の一つ)がありますが、維持復元がとても残念な感じです。
奈良街道沿いの商家を観察。この辺りは道との境は犬矢来ではなく「駒寄せ」とするが多く、裏側は唐草装飾の金具で支えるのが標準なようです。
「威徳井橋」。
の横に移設された井戸枠と地蔵尊。
橋の上から吉城川。
「尼橋」(現下水門橋)
「水門橋」。
向こうのタヌキの置物があるのは蕎麦屋ですが、凄い人気の大行列店だそうです。が、私には地雷臭しかしません。
奈良公園にやってきました。
シカが毛の衣替えで病気みたいに見えます
武田商店では、しかせんべいの直販はやっていないので、お土産物屋で買います
店のオバチャンに「今、工場を見学してきました」と言ったら「武田さん、見学させてくれるの?」と驚かれ。関係者でも見学可は中々知らないようです。
右のコはネットで「しかせんべい中毒」と根拠の無い噂で認定された有名鹿

(きたまちガイドさん撮影)
「氷室神社」。
餅飯殿商店街のツバメ。
「もちどん」って何?
餅飯殿センター街のマスコットキャラクターでワニらしい。
何故ワニなのか謎。
しかも爬虫類のワニより、神話の時代のサメの鰐っぽい。
そして椿井市場へ。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975447566&owner_id=1602714
中華「大廣」へ開店時間に行ったら大将が「あと30分待って」と(笑)
30分後に戻る。
大将と女将の二人でやってる小さなお店ですが、メニュー超多くね?
悩んだ末に「スタミナラーメン」を注文。
さらに半ちゃんも。
美味い多い、客が続々とやって来る
そしてここも女将のトークが面白過ぎる。
翌朝は雨
オマケ。
朱雀門正面、カーモデル専門模型店「クアトロポルテ」
四畳半ほどのこじんまりした店舗ですが、ここのオリジナル商品が素晴らしいのです。
私はマルチシンナーを愛用。
「駄塗料も傑作塗料に生まれ変わる夢のシンナー」ですよ、もはやこのシンナー以外での塗装は考えられません
ご主人とついつい模型業界話を長々としてしまいました。
おしまい。
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