■元関脇・麒麟児、67歳で死去 突き押し相撲で活躍
(朝日新聞デジタル - 04月13日 19:35)
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日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した、ですか。麒麟児と言えば「突っ張りの麒麟児」であり、その強烈な突き押しを武器とし、初土俵は昭和42年の五月場所、昭和49年の九月場所で新入幕。昭和50年代から60年代初頭を中心に北の湖(第55代横綱、後に協会理事長)や(二代)若乃花(第56代横綱)をはじめ、大いに活躍した昭和28年生まれの、所謂「花のニッパチ組」の一人として長く土俵を沸かせ、三賞も殊勲賞・敢闘賞各4回、技能賞3回を数え、金星は6個。最高位は関脇で、幕内通算は84場所と活躍も長く、新旧両方の国技館の土俵を彩った名力士でした。三役は通算17場所で、初土俵以来の通算成績は773勝792敗34休。
中でも有名なのが、同じ突き押しの富士櫻(後に中村親方)との取組で、特に昭和50年の五月場所の中日八日目の天覧相撲での108発にわたる猛烈な突っ張り合いは昭和天皇が思わず身を乗り出して観戦したほどの名勝負
https://youtu.be/b9Pzn99y3hQ?t=35
となり、協会も昭和天皇が観戦する天覧相撲の日にはわざわざ割を組んだほどの顔合わせでした。対戦は26回に及び、成績は麒麟児の17勝9敗だったようですが、時間前に立つ一番も多く、この顔合わせの見どころの一つになっていたほどでした。
昭和63年の九月場所を最後に35歳で現役引退、年寄「北陣」を襲名して二所ノ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたり、主に巡業部の所属でテレビの大相撲中継などでは温和で分かりやすい語り口の解説で、人気を博していましたね。
麒麟児自身も富士櫻との対戦が現役時代の最高の思い出だと語っているようで、主に審判部にいてテレビの解説の機会がほとんど無かった富士櫻こと中村親方が65歳で協会の定年となる際、テレビの大相撲中継で中村親方が正面に座り、麒麟児こと北陣親方が向正面に座ると言う組み合わせが作られたほどで、マイクに慣れずに緊張した感じの中村親方を放送に慣れている北陣親方がフォローしながら、両者の名勝負を回顧していたのが印象に残っています。
その後、テレビの大相撲中継の解説に登場する機会が無くなり、その健康面での状況が取り沙汰されるようになり、平成30年の三月場所で迎えた定年にあたっては、再雇用制度(65歳以降は5年間「参与」として延長雇用が認められる)を利用することなく協会を退職、テレビの解説出演もありませんでした。最近の報道では、平成27年の夏頃に頭部の腫瘍摘出手術を受け、その影響で顔面麻痺を起こしていたようで、近年は糖尿病と腎臓を患っていたとか。
享年67とかですが、やはり、どこの番付にいても"黄金カード"だった麒麟児対富士櫻の対戦が、麒麟児の印象ですね。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
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