近代とは、ハレが日常になった時代です。
祭りのときにしか許されなかった、飲酒やナンパが日常になり、砂糖や遠洋の海産物など、ロマン的なもの(古典の反対。現状打破的なもの)が、食卓に上った時代です。
柳田国男は、『明治大正史 世相編』で、変化の原動力を、煮炊きできる燃料、電気などの灯、輸入品として値下がりした砂糖とし、台所から流れる甘辛い匂いを一家の団欒の象徴としています。
今までなかったロマン的なものですが、当然、旅は、そうした日常よりもさらに異界的な存在でした。そんな中で、駅弁が、普段食えないものを志向したのは当然の成り行きでした。
駅弁の元祖は、宇都宮です。握り飯に漬物ですから、これは除外するとして、
1890年の姫路駅の幕の内弁当は、
「たいの塩焼き、伊達巻き、焼きかまぼこ、だし巻き卵、大豆こんぶ煮付け、栗きんとん、ごぼう煮つけ、少し甘みをつけて炊いたゆり根、薄味で煮つけたふき、香の物は奈良漬と梅干し、黒ごまをふった白飯」
です。
(元ネタは、農文協の『聞き書き 日本の食事』。これは恐ろしくいい本です。単なるイメージを物語るのではなく、証人の老人から聞き取った事実をどこまでも検証しようとする姿勢で書かれた、近代食文化研究の金字塔です。たとえば、私の祖父母は農家ではありませんから、生まれ故郷であっても農家の節句の食事をしりません。ところが、この本には再現されていて、街場との文化の違いを感じることが出来ます)
鯛は、何と日本海海戦の際に、港を出撃するときに、菊正宗と一緒に、二等水兵に至るまで船上でふるまわれました。生死と国家の興亡を賭けた、ハレの兵糧だからです。
陸軍も、士官用に炊いた赤飯を一粒ずつ兵卒にふるまって、感動のあまり涙を流す者もいたとか。。
ちなみに、二次大戦では、士官と兵士の食事は大きな差がつけられました。これでは、負けるのも当然です。
かまぼこも、梁石日の『血と骨』にありますが、白身魚の塊。戦後すぐまでは、一本一万円程度の高級品だったそうです。
卵は、昔は高価でした。
たとえば、昭和ヒトケタ生まれの母は、末っ子だから祖父に優遇され、祖父から溶き卵を三分の一ほど貰ったそうです。物価を調べましたが、当時、卵一個は、400円程度。そう考えると、母の言い分もわかりますし、伯父らが貰えなかったのも普通のことだったのでしょう。
握りずしも、戦前、最高の値段だったのは、玉子焼きです。
鯛や穴子が7銭のときに、20銭です。
幕の内は、幕間で食べられるようにご飯を俵型にしているものですが、おそらく、当時の姫路駅から乗った客は、歌舞伎を見たことがなく、遠い都、お江戸の目新しいご飯の盛り方だったでしょう。
樺太では、
http://ekibento.jp/nos-karafuto1.htm
の一番下書かれているように、カラフトマスが使われました。カラフトマスは、あけぼのの鮭缶を連想しますが、サケマス類は、東京では昔は珍しく、非常に高価だったものです。東京から旅をした人で、初めて味を知った人も多かったでしょう。
調理の方法も、釜めし、寿司…などと、日常ではないものが使われます。
泉鏡花『高野聖』も、寿司の折り詰めを買ったが、「やっ 具は人参ばかりだ」と声を上げ、向かいに座った法師と打ち解けるところから始まりました。駅弁を買えば、楽しい食事ができるという常識が当時あったことがうかがえます。
駅弁から始まって、人々の食卓に還流されたぜいたく品も多かったと思います。
まるで、東インド会社のような、ロマン的な冒険が、本国に豊かな物産をもたらしたかのように。
…コンビニがあるのに、駅弁を買いたい。
これはわかります。食事は、カロリーのためではなく、むしろ、意識を華やがせるためのものだからです。
■自称「崖っぷちの駅弁屋」が「夕食難民」を応援!…夜だけ「駅弁値引き」JR神戸駅の老舗店
(まいどなニュース - 01月31日 17:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=262&from=diary&id=6396373
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