瀬戸内の島々は、中国、四国の各県にそれぞれ分割されていますが、その歴史的流れをたどれば、独立した圏とみるべき要素が多々あります。例えば広島や香川が瀬戸内海に大きな影響を及ぼしたというより、瀬戸内海が周辺の各県に大きな影響を及ぼしたわけで、主導権は瀬戸内海圏にあったといえます。
90%が、淡路島、小豆島、そして3諸島に集中しています。満潮時に周囲0・1�勸幣紊△襪海箸�、一応、島の基準とされているのですが、その基準を満たす島は約700で、そのうち有人島は約150あります。
しかしこの数は毎年変動しており、無人島になったり、架橋によって本土とつながって島がなくなってしまいます。平将門が関東で反乱を起こすと、それに呼応するかのように、藤原純友が海賊集団を組織して各地を襲いました。
これが「純友の乱」です。しかし領民を襲うことはありませんでした。純友はその後、日振島に拠点を設け、京へ上る官私船の財物や食糧を略奪しました。その後、河野軍が誕生し、それが村上水軍となり、源平の戦いで源義経を援助し、大勝利を収めました。
村上水軍は海外交易を盛んに行っていました。毛利氏を攻略し、天下を治めるには、村上水軍を味方に引き入れなければならないのです。織田信長は朱印状を送り、「村上水軍が望むなら、いかなる領土でも与える」という特別待遇をとりました。その後、水軍は朱印状と同格の「人名」を豊臣秀吉と徳川家康からもらいました。
内海の島にある瀬戸田という問屋は、どこよりも早くコンピューターを導入しています。民力指数には出ていませんが、瀬戸内海は豊かで、消費財の購入比率が非常に高いです。岡山は、近畿や中国地方と貸物交流が発展していますが、四国は10%にも満たないです。その中で香川は、近畿や中国地方と交流していますが、岡山は通過地点に過ぎなかった。
ログインしてコメントを確認・投稿する