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2020年02月11日13:48

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「浴槽の中で亡くなった」というのが……。

■野村克也さん死去 生涯捕手貫いたノムさん最後のボヤキ
(AERA dot. - 02月11日 10:25)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5969004
NPBの南海ホークス(福岡ソフトバンクホークスの前身)などで捕手として活躍、南海ホークス(プレイイング・マネージャー)や東京ヤクルトスワローズなどで監督として5回のリーグ優勝、3回の日本シリーズ制覇を達成した野村克也が亡くなった、ですか。10時過ぎにネットニュースで知りましたが、NPBを代表する「偉大な野球人」の一人であり、監督を退いてもその「ぼやき」で知られていた人であり、「亡くなる」ということがイメージできない人でもありましたが、急死のようで、ちょっと驚きましたね。
京都府出身で峰山高を経て昭和29年に南海ホークスにテスト生として入団。3年目の昭和31年には捕手としてレギュラーに定着し、昭和40年に三冠王に輝くなどチームの黄金時代の中心選手として活躍し、
http://npb.jp/bis/players/01603809.html
昭和45年にプレイイング・マネージャー(選手兼任監督)となり、昭和48年にリーグ優勝を果たすも、半ば逐われる形で南海を退団、ロッテ、西武に移籍して昭和55年に現役を引退。通算26シーズンで歴代最多の3017試合に出場、通算657本塁打、2901安打、打率2割7分7厘、本塁打王9度の成績で平成元年に殿堂入り。監督としては24シーズンで1565勝1563敗でしたが、南海で1回、ヤクルトで4回リーグ優勝、うちヤクルトで3回日本シリーズを制し、特にヤクルトでの実績が印象的でした。
捕手としてマスク越しに意表を突く囁きで打者の集中力を削いだ「ささやき戦術」、監督としても江夏豊をクローザーに転向させたことに代表される「野村再生工場」、特にヤクルト時代に効率的な試合運びと意識改革をもたらした「ID(import data)野球」と独特のスタイルを相次いで標榜、その個性という面ではNPBを代表する存在だったと思います。
「ダブル不倫」状態でそれぞれ離婚、愛人から妻の座を射止めた夫人だった野村沙知代が亡くなり、昨年のヤクルトのOB戦に出て来た際には大分弱った印象がありましたが、「第二監督」だと言う良い捕手の台頭がなかなかならないことへの「ぼやき」を語るなど、その健啖ぶりは相変わらずでしたが、家政婦が自宅の浴槽で倒れていたのを発見したという状況とのことで、何とも侘しく孤独な最期だったように思いますね。
半世紀前の不倫の代償なのかは分かりませんが、半ば"孤独死"みたいな感じだったのが、なおのこと残念な感じがしました。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
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