今年は、本多正純が宇都宮に入封して400年になるそうで、
それを記念して、宇都宮城址公園内の清明館で、
「近世宇都宮の城下町」と言う企画展があるので、散歩がてら行ってみました。
本多正純は、徳川家康の謀臣として有名な本多正信の長男です。
父親の後を継ぎ、徳川家康の側近でしたが、
1619年(元和5年)に、亡き家康の遺命であるとして
下野国小山藩5万3,000石から宇都宮藩15万5,000石に加増を受けました。
1622年(元和8年)、出羽山形の最上氏が改易された際、
正純は上使として山形城の受取りに派遣されます。
接収後、正純糾問の使者を受け、適切な弁明ができなかったため、
改めて出羽国由利(現在の由利本荘市)に5万5,000石を与えるとの命令を受けます。
しかし、正純は理由がないとこれを固辞します。
このため、秀忠が激怒し、本多家は改易され、知行は1,000石のみとなり、
身柄は佐竹義宣に預けられ、出羽国由利へ流罪となり、
後に出羽国横手に幽閉の身となって、そこで生涯を閉じました。
宇都宮藩主であった期間は3年足らずでしたが、
近世宇都宮の城下町を整備し、今日の宇都宮中心部の骨格を造ったと言われています。
正純の失脚理由については、色々な見方があり、
とてもここで書ききれませんが、
秀忠とは上手く行っていなかった事によるものなのでしょう。
展覧会は無料でしたし、清明館の展示室の一部を使っただけの小さなものでしたので、
余り期待はしていませんでしたが、やはりその通りでした。
江戸時代の宇都宮の地図などは見られたので、現在の町並みと比べる事が出来ました。
中で1点、古川古松軒が宇都宮を訪れた際の「東遊雑記」の写真がありました。
「また本多上野助正純悪逆の事跡は、ここに記さず。
土人の物語に、城中にその時巧みし堀の跡残れりといえり。」の件でした。
古松軒は、宇都宮の街を良くないと言っていますが、それは触れていなかったです。
「東遊雑記」の宇都宮の記述は、下記をご参照下さい。
https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/746978517337eb393e5c4874dd6585d6
本多正純と徳川家康の側室で後に正純の継室となる梅について、
諸田玲子さんが「梅もどき」と言う歴史小説を書いています。
史実を踏まえて描かれた、良い小説だと思います。
この小説によって、本多正純に興味を感じたのも、今日出掛けた理由の1つです。
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