mixiユーザー(id:7170387)

2019年07月02日07:08

130 view

永田鉄山に対する感情のずれ

石原莞爾は、1914年から1918年の第一次世界大戦を、世界戦争ではなく「欧州大戦」にすぎないとみていました。そして、日米の世界最終戦争が真の「世界大戦」となるとしていた。この日米世界最終戦争を、石原莞爾は「将来戦」としてイメージしています。

だが、永田鉄山は、前の大戦を一つの「世界大戦」としてとらえ、次期世界大戦が不可避との判断に立っていました。その次期大戦は、前回の大戦と同様、国家総力戦となり長期の持久戦となる、そして日本も否応なくそれに巻き込まれると考えていた。

したがって、国家総力戦的な長期の持久戦すなわち消耗戦に備え、国家総動員の準備が必要だと主張していたのです。永田鉄山の将来戦のイメージは、その次期世界大戦であり、それゆえ消耗戦とされたのです。

石原莞爾も、日米世界最終戦争の前に、日米間で消耗戦争(日米持久戦争)が戦われると想定しており、その意味では、当面する戦争が消耗戦争となるとの見方は両者とも共通していましたが、石原莞爾はその面にはほとんど言及せず、日米最終戦争論を前面に押し出し、国家総動員による持久戦争ではなく、徹底的な殲滅戦になるとの発言したのでした。

ただ石原莞爾は、日米消耗戦争も国家総動員によるものとはならないと考えていました。石原莞爾は、消耗戦争を複数の類型に分けたうえで、こうみていました。欧州大戦は頑強な防御戦を正面から力で突破しようとして国家総動員型の消耗戦争となったのだが、当面する日米戦争は、欧州大戦の場合とは異なり、作戦地域が広大となるため消耗戦争となる。

それは国家総動員型の消耗戦争ではなく、中国大陸での「戦争により戦争を養う」方式で対応しうる、と。したがって、日米戦争は、最終戦争であれ、それ以前の消耗戦争(日米持久戦争)であれ、国家総動員型のものとはならないとしていた。ところが、1927年3月に書かれた講義案の結論部分では、こう記されています。

世界最終戦争に至る前の戦争は「消耗戦略」となり、そのため「国家総動員の研究計画準備に遺憾なきを要す」。したがって、「国家総動員に関する機関」が設置されたことは喜ぶべきことだ、と。しかし、同年12月起案とされる講義録の結論(「現在及将来に於ける日本の国防」)では次のような趣旨の記述があります。

日本の物質力は「頗る(すこぶる)貧弱」であり、先の欧州大戦のような100万規模の動員を必要とする戦争をおこなえば、日本は「破産」する、と。したがって、日本は欧米大戦のような国家総動員型の戦争は回避すべきだというのです。

また、最終戦争以前の日米間の戦争が「消耗戦争」となるのは、作戦地域が広大なためである。それゆえ、相互に防御力が強固なため消耗戦争となった欧州とはまったく異なり、「国家総動員」とはならない、と石原莞爾は主張しています。

「我等の予期せざるべからざる消耗戦争は、仏国等が目下準備しある戦争[国家総動員型消耗戦争] とはその本質において大なる差異を有[す]。」(「現在及将来に於ける日本の国防」)つまり、いずれにせよ永田鉄山の主張するような国家総動員の必要には否定的なのです。

3月の講義案結論と12月の講義案結論とではこの点でも、軽視しえない変化が生じています。石原莞爾は、木曜会の満蒙領有方針を受け入れたのとほぼ同じ頃、国家総動員論を放棄していたといえます。

木曜会の満蒙領有論は永田鉄山の構想を源泉としており、国家総動員論も永田鉄山の持論でした。そこに石原莞爾の永田鉄山に対する微妙な感情のずれを感じるのは考えすぎでしょうか。
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年07月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

最近の日記

もっと見る