つまり、自分が認めたくない事実がまずあって、
それがたとえば「自分にはもっと能力があるのにこの程度しか認められてない」とか
自分に関するちょっとした不満なわけだな。
他人が見れば「でも給料ちゃんと高いじゃん」とか
「あんたのことすごいって言っている人いっぱいいるよ」というレベルでも、
本人は「認められ方が不十分」と思っていて、解消できない。
すでにある程度認められていることもわかるから、「認められてない」とは言えず
「もっと認めろ」とはなおさら言えない。
ある程度頭のいい人間だから、わからないふりとかしてずうずうしく言うこともできない。
で、この「自分に関する認めたくない事実」から目をそらす(否認する)ためには、
もっと派手で大きな事実から目をそらすのが手っ取り早い方法、ってわけだ。
…「え?そんなことあるの??」と言いたくなる理屈なんだけど、
精神医学的にはそういう解釈も成り立つのだな。
で、こっそり浮気するとか万引きとかあおり運転とか、
そういう「すぐできるちょっと犯罪的な行為」に走るという手もあるけど
(頭の中で「自分のやったことはあおり運転ではない」と言い聞かせる)
(すると「自分の能力が認められない」というより小さい事実は簡単に無視できる)
身近にいる他人で弱っちそうなやつを言葉とか暴力とかでいじめて
「自分はいじめはしていない、相手の悪いところを指摘しただけ」
「相手のことが好きでからかったりいっしょに(相手を殴る行為で)遊んだりしたい」とか
そういう方法もあるわけだ。
なるほどねぇ。
いじめをする人間も何か問題かかえているとは思ったけど、
そういう解釈もあるわけね。
自分はいじめられた経験豊富なサバイバーなので、
これまで受けたいじめを思い出すとそういうこともありえる、という気がする。
でもいじめられた経験、心の傷は一生残る。
この理論によれば、いじめたほうがいじめた記憶は残らないことになる。
なんかものすごく理不尽だ。
■いじめや差別、なぜやめられない? 香山リカさんが挙げる3つの理由 「他人をいじめる人生」の結末は……
(ウィズニュース - 06月20日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5671088
ログインしてコメントを確認・投稿する