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2019年04月12日05:44

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ロードマップ中東和平

2001年9月にアメリカを標的にした同時多発テロに対してアメリカが宣言した「対テロ戦争」の流れのなかで、イスラエルのシャロン首相は、パレスチナの過激派もテロリストであり、それを取り締まらないアラファト議長はテロ支援者であると糾弾し、2002年3月、パレスチナ自治区に侵攻しました。

アメリカのブッシュ大統領は、イスラエルとパレスチナという二つの国家の平和的共存を目ざす演説を行い、これをもとにアメリカ、ロシア、EU、国連の4者が、2003年4月、イスラエルとパレスチナの双方に、新しい和平へのプロセスとしてロードマップを提示しました。

ロードマップは、パレスチナ側の過激派の解体とイスラエル側の入植活動の停止、パレスチナの市民生活の正常化と制度構築、イスラエル軍を2000年9月以前の位置まで撤退させることが第一段階で、2003年中に暫定的な国境をもつパレスチナ国家の樹立を第二段階で、国境線の画定と難民問題の話し合いを第三段階によって、2005年までにパレスチナ国家の正式な樹立を実現するとしています。

2003年6月、ブッシュ大統領、シャロン首相、パレスチナ自治政府のアッバス首相がヨルダンのアカバで会談して、2つの国家の平和共存を目ざし、ロードマップを実行することで合意しました。同年11月、国連の安全保障理事会は、このロードマップを支持して、イスラエルとパレスチナの双方に義務履行を求める決議を採択したのです。

アラファト議長の死去後、2005年1月に大統領に就任したアッバスは、翌月にはシャロン首相との首脳会談でロードマップに沿った和平の取り組みを確認、汚職や治安組織の再編に取り組みました。同年9月にはイスラエル軍がガザから撤退するなど、進捗がみられたのですが、2006年1月の総選挙で対イスラエル強硬派のイスラム組織ハマスが大勝すると、自治政府の混乱とイスラエルによるガザ攻撃など暴力の応酬が激化したのです。

イスラエルは入植活動を続け、テロ対策との名目で建設を進める「分離壁」が自治区の日常生活や経済活動を阻害しました。2013年3月にイスラエルとパレスチナを初訪問したアメリカのオバマ大統領は、パレスチナが和平交渉再開の前提とする入植地建設の中止について踏み込んだ発言を避け、具体的な進展はみられませんでした。

ロードマップはその第一段階も達成されていませんが、イスラエルとパレスチナの双方が実施を確認した基本合意であり、和平交渉の指針となっているのがロードマップなのです。過去に新聞の一面で取り上げられましたが、イスラエルが行った暗殺を米国が知っていたのかと騒ぎになりました。

ブッシュ大統領をイラク戦争に駆り立てたのは、ネオコンといわれるタカ派の人々で、イスラエルの右派勢力と強い結びつきを持っています。イラク開戦とともに世界はネオコンの天下となったというのが世の中の常識になりました。だとしたら、米国がイスラエルに不利になるようなパレスチナ和平交渉を進めるはずがないでしょう。

ロードマップ計画は、イスラエルとパレスチナの双方に協力や譲歩を命じていましたが、事実上はパレスチナ側にはもう失うものが何もなく、イスラエルの側が大幅に譲歩を迫られているのです。そのため、イスラエルは米国に対し、ロードマップがイスラエルに不利でないものになるよう、条文の100カ所近くを修正することを求めていたのです。

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