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2019年04月04日21:34

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三浦按針・・・

 4月1日、長崎県平戸市は、
 平戸市崎方公園内の「三浦按針墓地」で出土した人骨について、
 ヨーロッパ人男性と断定したことを明らかにしました。
 平戸市は、徳川家康の外交顧問を務めたイギリス人の
 ウイリアム・アダムス(日本名三浦按針)の可能性が高いとみているとの事です。

 平戸市は2017年に墓地の発掘調査を実施し、
 頭蓋骨など複数の骨片が入ったつぼが見つかり、
 その骨の鑑定を依頼していました。
 骨の残存状態が悪いため個人の特定に必要な核DNAの抽出が出来ませんでしたが、
 母から子に受け継がれ祖先をたどることができる
 ミトコンドリアDNAを分析した結果、
 北・西ヨーロッパ人に多い塩基配列を確認したとの事です。

 このほか骨に含まれるコラーゲンを抽出し、炭素成分を年代測定し、
 1590年から1620年に死亡した可能性が高いと分かったとの事で、
 按針は1620年に死去しています。
 平戸市によると、1561年から1640年までに平戸で死亡した外国人は約70人で、
 このうち1590年から1620年に死亡したのは
 按針を含むイギリス人とオランダ人の計10人だったとの事です。
 まだ三浦按針と確定はしていませんが、今後更に調査を進めるようです。

 三浦按針は、1564年、イングランド南東部のケント州ジリンガムの生まれです。
 有名なキャプテン・ドレークが、
 無敵艦隊と言われたスペイン艦隊を破ったアルマダの海戦に
 貨物補給船の船長として、参加しています。
 その後、オランダのロッテルダムから極東を目指す船団の航海士となり、
 1598年6月24日、5隻の船団でロッテルダム港を出航しました。
 しかし、ポルトガルやスペインに船が拿捕されたり難破したりして、
 マゼラン海峡から太平洋を横断出来たのは、按針が乗船したリーフデ号だけで、
 1600年4月29日(慶長5年3月16日)、豊後臼杵の黒島に漂着しました。
 按針などの乗組員は拘束されますが、
 徳川家康に拝謁して、その才能などが見込まれます。
 この間、イエズス会の宣教師たちは、家康に按針達を処刑するよう申し入れますが、
 家康はこれを無視して、江戸に招き旗本に取り立てます。
 家康に信頼された按針でしたが、1616年(元和2年)4月に家康が死去し、
 跡を継いだ徳川秀忠をはじめ江戸幕府の幕臣たちの方針で
 貿易を平戸のみに制限する鎖国体制を敷いたため、按針の立場は不遇となり、
 1620年5月16日(元和6年4月24日)に平戸で死去しました。55歳でした。

 一緒に日本に着いたオランダ人のヤン・ヨーステン(日本名耶楊子)も、
 江戸で屋敷を与えられますが、その場所は現在の八重洲で、
 ヤン・ヨーステンの名前が語源になっています。

 余談ですが、リーフデ号の元の船名はエラスムス号で、
 船尾にはオランダの人文主義者エラスムスの木像が飾られていました。
 この像は、経緯が明らかではありませんが、
 旗本牧野成里の菩提寺である栃木県佐野市の龍江院に伝えられ、
 長年、古代中国の伝説上の船の発明者である貨狄の像とされて来ました。
 大正時代に、これがエラスムス像である事が判明し、
 国の重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館に寄託されています。

 三浦按針である可能性の高い骨が見付かったとのニュースで、
 当時の歴史を勉強してしまいました^^


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