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2019年01月20日08:37

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中華料理と『典座教訓』

思い出すのは、友人が、姪御さんを一流寿司屋に連れて行ったときの後日談です。

この寿司屋は、大間の大トロ的なバブリーなネタから、蝦蛄の漬け込みのような、江戸前まで何でもある店です。
有名女子大に入ったお祝いだそうですから、姪御さんが女子高生のころでした。
「姪は味が分かんないね」
というので、
「『叔父さん、この大トロ、超とろける。』『このイクラ、超ヤバい。』…でしょ?」
といったら、そうだそうだ、という話になりました。

しかし、この姪御さんの味覚は、われわれがたどった道です。
私らも小さいころ、小肌の粟漬けや酢だこの味はわかりませんでした。
年齢もあり、トレーニングの問題もあります。

東京に住んでいれば、東京の食い物はわかるようになります。
哲学の他我問題ではないですが、
他人の存在も感じ方もわかりません。もしかしたらある人にとっては、トロにマヨネーズ掛けるのがうまいかもしれませんし、自分の味覚が勝っているという証明手段はありませんが、一応、語れるようになりました。

台湾に行って思うことですが、
現地に駐在している商社マンのような人に勧められた店がもっともうまいということです。
台湾人に勧められた店はどうかというと、うますぎてまずいです。
「この料理は、素晴らしいんだろうな…」とは思いますが、味が深すぎてついて行けません。

おそらくは、欧米人が、小肌や穴子よりも、サーモンの寿司をありがたがる心理と似ているでしょう。

一方、現地人もわれわれもうまいと思えるものがあります。

A 食材がもともとうまいもの。
ツバメの巣、干しアワビ、干しナマコ。蚊の目玉。果狸(ハクビシン)や上海カニ。大連クラゲ。

B キッチュな家庭料理
(山椒主体で豆板醤を使わない)麻婆豆腐、(日本でいう)上海焼きそば

やはり、食材の上下というものはあるでしょう。
道元は『典座教訓』にて、
「佛の縁と雖も、多虚は少實に如しかず、是れ人の行なり。 所謂、醍醐味を調ふるも、未だ必ずしも上となさず。 莆菜羮を調ふるも、未だ必ずしも下となさず。 莆菜を捧げ、莆菜を擇ぶ時、眞心、誠心、浄潔心にして、醍醐味に準ずべし。」
私に訳しますと
「仏の縁と言っても、多いがウソで固められている縁は、少ないが真実である縁には及ばない。こういうものが人の行というものだ。世間でいう醍醐味が上とは限らないし菜っ葉汁が下とは限らない。菜っ葉を捧げ持って選ぶとき誠心誠意清らかな心があれば、醍醐味と同じである。」

などと述べていますが、これは、強がりです。
心掛け次第で、まずいものがうまくなるわけではないですね。

ただし、これは一面の真実に過ぎません。

Bは、売りにくかったから、日本の中華になかなか入らなかったのでしょうが、
焼きそばのいいものは、油や野菜や粉がいいです。

よく吟味して作れば、道元の言うとおりになるのかもしれません。
道元の言葉は、
いい油や粉が手に入った時代の特権と考えるべきかもしれません。



■エビチリ、麻婆豆腐、チャーハン…あなたの最強「中華料理」はなんですか?
(TOKYO FM + - 01月19日 19:40)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=5463335
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