1 目標をどんな文にするかが問題。
文学畑で、本当にスゴいと思うのは、稲垣足穂、江戸川乱歩、団鬼六ですが…
これが、志賀直哉あたりを目標とした場合、違ってくるでしょう。もっと言うと、わかりやすさという観点では、赤川次郎なんぞは、右に出る者がいないでしょう。
だから、これは堕落した議論だと思います。
「歌が上手くなりたい」というのと同じです。マリア=カラスか、天童よしみか。全然違います。
学校の読書感想文で優秀賞をとる人を目標にしていいか…という問題は大きいです。
ぼくは我が子に、数学で一番になってほしい、有名国立大学に入ってほしいと思ったことはありますが、作文で優等を取ってほしいとは、ただの一瞬も思ったことがありません。
むしろ、先生(学校の先生がどうのというのではなく、普通の大人)には絶対理解できない自分の世界を持ってほしいと思いました。
2 文章は過程的なもの。
Y大人という、研究の節目に相談する人がいます。
言っていることがよくわからないというか、理解するのに毎度苦しみます。彼の考えていることが高度過ぎて、言葉に吸収できないのです。
そこまでいかなくても、考えていることが複雑であり、言葉がついて行けないから結果的に文章が下手という青少年は多いです。
その典型が、ラップのように会話する頭が切れるヤンキー(特に女性の中には巫女的な人がいます)のなかに多く見られます。
3 だからこそ、本当の仲間を持たないといけないと思います。
文章力一般なぞ、どこにもありません。
自分と似た志向の有能な人に分かってもらえればいいのではないでしょうか。
おそらくいい学校に行った方がいい…という深層の理由はそこにあります。
本当にわからせるべきなのは、試験の採点者ではなく、友達だからです。学会の査読がそれに近いものがありますが、まずはそういう公的なものではなく、私的な領域を徹底して語りつくすことでしょうか。
4 もちろん、文章を書く商売の人は、自分の仕事に合わせて修得すればいい話です。
たとえば法曹。
独特の文章の作り方をします。
作文云々ではなく、基礎学力としての中性的な読み書きの力が十分にある人が、法学部に行ってから勉強して専門の文章を習得するということではないでしょうか。
「情操一般」のようなものがあるとは、到底思えませんが、一般に言われている「情操一般」を鍛える「作文」云々とは、大きなズレがあるのではないでしょうか。
■「作文力」は書く力よりも読む力。作文を上達させる3つの方法
(まぐまぐニュース! - 01月14日 19:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=5456255
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