宮城県渕上辰男氏宛書簡によると「今日、いよいよ最後の手術を受けます。ただでさえ手紙を書けぬ身お返事を許してください」とのはがきが保存してあります。栃木県高木清寿氏宛「鶴岡で第3回目の開腹手術を受けました。傷口化膿、余病続発、衰弱して、3月9日かろうじて帰宅静養します」との葉書も同志である医者の樋口氏の著書にあります。
1月29日「連日の発熱、手術の口割れる」。1月30日パピロームワクチン第1回注射。2月4日ワクチン第2回注射。2月9日ワクチン第3回注射。以後、連続発熱、ペニシリン注射が続く。3月12日「傷口崩れまたもや尿漏れ」。3月29日「反応のため38.7度」とあり、ワクチン療法のためと推測している。
4月28日GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)より連絡が来て、出張尋問が酒田に決定している。5月1日から2日終日裁判。「なかなかすすまず」と極東軍事裁判法廷の模様が記されている。5月22日蓮見喜一郎博士より「パピロームワクチンを中止することとなる」と記している。
5月末から6月初旬にかけての発熱の原因を菅原常勇医師より「膀胱炎と診断」と記す。6月24日第一回輸血「駒瀬君の血」。7月5日第二回輸血「正之の血」。7月11日第三回輸血「水越君の血」。7月16日第四回輸血「水越氏の血」。7月21日第五回輸血「仲條君の血」。7月28日第六回輸血「正三君の血」。8月1日第七回輸血「………」。
8月5日第八回輸血「菅原良」。8月10日第九回輸血「後藤明」。8月15日第十回輸血「克枝、仲條」。8月18日「8月初め以来、出血ますます有り」と症状の記載が久し振りに認められる。8月20日第十一回輸血「高瀬、今野光蔵」。8月27日第十二回輸血「正之の血、輸血40ccくらい」。
石原莞爾の日記には、多数の輸血提供者が申し出でいることが記されています。人徳のたまものでしょう。おそらく病床近くで行われている提供者のクロスマッチ(血液型適応検査)会長調べを垣間見てあろうか、一人一人の名前を記し、適不適のマークを入れている。石原莞爾の几帳面さが表れています。
輸血の度に提供者の名前を記し、「申し訳ない、申し訳ない」と感謝の言葉も記し、律儀ぶりも伺えます。9月1日「パピロームワクチン接種」と再び蓮見博士の加療が始まっている。9月5日「パピロームワクチン」。9月12日「輸血」。9月25日「パピロームワクチン」。9月27日「ガンワクチン」。9月28日第16回「輸血(水越)」。
9月30日「パピロームワクチン」。10月1日蓮見博士鶴岡市十日町料亭「菊池」にがん治療書解説する。10月2日蓮見博士、あたらしい電気療法。10月5日「昨夜以来の治療により排出物多く痛みあり」。10月13日輸血(正之)、20日輸血(仲條)、27日輸血(渋谷)、11月4日輸血(正之)。11月15日「ガンワクチン5本」第11回注射。
11月19日輸血(正之)。11月22日「ガンワクチン新しい30本来る」。11月28日輸血(渋谷)。11月29日「昨夜尿閉まるに苦しみて本日午前大に騒ぎ菅原医師を呼びし」。11月30日「かろうじて利尿しつつあり39.7度」。12月1日39.5度、3日朝37.0度夜37.8度12月5日、12日輸血(水越、水越弟子)。12月21日「大きなもの多数排出」。
12月22日「菅原医師の検査の結果スペース排出物パピロームなるを知り ガンワクチン注射 輸血注射(仲條)「12月24日」昨夜 再び出血 本日粘液様のもの及び破片らしきもの若干出る」昭和23年(1948年)1月4日痛み強く 少々多く脱落 18日今朝少々脱落 19日昨夜十内外脱落 22日粘液様のもの及び小さい脱落 つつく 28日終日痛み 夜小さなもの数ケ 29日輸血(水越80cc)31日血圧90 蓮見博士から「ワクチン中止とのこと」父が所持していた石原莞爾の日記から闘病の様子が語られています。
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