■「八百長に自ら関与」告発した板井圭介さん死去 元小結
(朝日新聞デジタル - 08月14日 20:17)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5244652
板井圭介、亡くなる、ですか。実業団相撲の黒崎窯業から大鳴戸部屋(師匠は元関脇高鐵山。現存しない)に入門(昭和53年9月場所初土俵)、突き押しを武器に序ノ口から三段目まで26連勝を記録、実業団相撲出身と言うことで「脱サラ力士」とも呼ばれ注目を集めました。翌年の9月に序ノ口から僅か5場所で十両昇進を果たし(戦後では土佐豊、常幸龍と並ぶ歴代1位タイ。これを機に四股名を高鐵山に改名)たものの、新入幕の場所で足の関節を傷めて十両に陥落。怪我が多く幕内と十両を行き来する生活となり、四股名も「板井」に戻し、幕下にまで番付を落としていたこともあったほどでした。
西前頭7枚目だった平成元年の3月場所に11勝4敗の好成績で殊勲・技能両賞を受賞、翌場所小結に昇進しましたが、膝が悪くて巡業中でもほとんど稽古をしなかったほどだそうで、大成したとは言えない土俵と言う印象がありますね。
程なく引退、大相撲で八百長が行われ、自身もそれに加わっていたことを当時日本外国特派員協会での講演で明らかにし、さらに後年に週刊現代でも八百長を告白して自身の現役時代のことを書いたとする暴露本を出版して話題を集め、平成12年に外国特派員協会の講演で自身の八百長関与を認めましたが、その詳細に関して「私が証拠です」と煙に巻いたコメントを発し、具体的な内容の説明を行おうとせず、物議を醸したほどでした。
結局、後年の賭博・八百長スキャンダルほどに発展しなかっなようなところがあり、角界全体を揺るがすほどにはなりませんでしたが、この人の煙に巻いた発言ゆえ、そうなった印象がありますね。
晩年は太町を崩していたようですが、八百長関与を口にするくらいだったからか、「ろくな力士」ではなかったと言っていいのかも知れません。合掌。
ログインしてコメントを確認・投稿する