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2018年07月29日08:51

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オウム真理教最大の問題。「神秘体験」と近代 下

神秘体験や超常現象の定義はさまざまです。

昨日の日記に引き続き、
では、神秘体験にはどのようなものがあり、オウム信者はどうするべきだったか。社会はどうするべきだったかをみていきたいと思います。

1 常識を超えた事象

よく言われることですが、
19世紀の人が飛行機をみたとしたら、奇跡だ、神の使いだ…と思うでしょう。

そこを、わが師故佐藤六龍は、「100m 9.8秒で走る人や、きれいな女優さんは私にとって奇跡だ。」と述べています。さすがは、わが師です。

2 現代科学では解明されていない事象

19世紀の飛行機もそうですが、
鍼などもそうです。

仮に麻原が本当に空中浮揚したとしても、アストラル体が出ていたなどの理由があるはずです。
オウム真理教も、「全てのものごとには、原因と結果がある」と説いていたそうです。この教えは正しいと思いますが、引っかかった元死刑囚らは、それを考察する知性に欠けていました。
不思議なことなど、この世に何もありません。

たとえば、岡崎(佐伯)一明は、小さいころからオーラをみる能力があったそうですが、だからと言って岡崎が聖者ということにはなりません。岡崎を聖者と思い込むのは、飛行機を見て「天使が飛んでいる」と思う、19世紀人と同じです。

3 神や悪魔などの「超能力」
これが、いわゆる世間でよくいう神通力です。
しかし、2とも被りますし、

ジョン=ロック『人間知性論』4巻には、「単に強い確信が得られたというだけなら、それが聖霊の働きなのかサタンの声なのか私には区別することができない」
カント『形而上学講義』4章には、「神の声を聞いたという人がいても、それが本当に神の声かどうかを人間に判断することなどできない」
とあります。西洋では、サタンは研究されています。サタンなら、神に化けるなど朝飯前です。

オウムは高学歴だと言います。
「どうして、高学歴な青年が…」といいますが、私は、それは違うと思います。上智中退の村岡達子などを除けば、オウムには文学部卒の高学歴者は、いません。工学部卒の人は、普通、西洋哲学書は、精読していないです。センター試験の失敗ですね。

さらに、仏教や神道の天人は、行者のいうことをききます。
だから、行者Aが高い祈祷料をもらい、Bのために祈るとしたら、Bの願いが不倫だの人を出し抜いてのぼろ儲けだのという、芳しくないことでも、一時的に願いをかなえるという現象は起きます。
長いスパンでみたら、倫理に適っていないBは、却って不幸になるかもしれませんが。
(世間でいう霊能者は、このパターンが多いと思います)

4 詐欺

オウムが実際に使ったLSDなどが典型です。
以前、よく見たテレビドラマに、『トリック』という、仲間由紀恵と阿部寛が主演したドラマがありました。マジシャンの仲間由紀恵と、物理学者の阿部寛が、新興宗教のインチキの手口を見破るというストーリーですが、見ていると、出てくる手口は、ものすごいものがあります。普通の人なら騙されるでしょう。
我々に解けない数学の問題があるのと同様、解けないことがあるということに、もっと謙虚になるべきです。もちろん、解けないことは保留するのが正しい態度です。

5 科学で説明がつく事象

セロトニンの過剰分泌など、医学的な理屈はわかりませんが、
実は、禪では大昔から知られており、研究されているところです。
禪病。
長い間、坐禅をすると幻覚をみて、体調が変化するという病です。
魔境
神仏や悪魔を実際にみてしまうことです。
これまた、坐禅が原因です。

座禅を究明した『快庵的傳大中寺禪室内秘書』(『雨月物語』「青頭巾」のモチーフとなっている書物)は、
「…代云。 形チワ松ト共ニカシケ、心ハ月ト共ニ砕ケタガ 、吾ガ心ワ、何ニカ似タル/\。心ハ、爰ヲバ前ノ修行ノ落付キト心得サシ、爰ニ何ントモ手ワ付ケラレテコソ。或イハ唯独自明了余人所不見ト云モ向ダ。」
私に訳すと、
…代わって言う。形は松と共に欠けて、心は月と共に砕けたが、心は何に似ているのだろうか。ここを最初の修行の落ち着き先(修行の第一段階)と心得た。ここに何か手を付けられて(はじめて)、あるいは、唯独自明了余人所不見ともいう言葉もこの意味で実現する。

と、坐禅中に清々しい気持ちになって、月や松が消えてしまっても、月や松がまだ幻想の中に現れている、ここを克服して初めて本人しかわからない仏道の真実が分かるとしています。

その方法は、幻覚を否定していくということです。

以前、私が書いた論文の末尾を引用します。
(「青頭巾」の悟り  --『不動智神妙録』と『快庵的伝禅室内秘書』 「中國古典研究」)

…程度の差こそあれ、かく、自己の体験に固執し、恐怖や思い込みなど悪しき表象を引きずりながら、酔生夢死の生を送るのが、我々凡夫の大半であり、ここに、衆生の業の本源的な姿がある。この図式を崩し、個人的な体験から生じるうたたかの表象を、刹那生滅の虚妄と断じ切ることこそ、上田秋成が『雨月物語』に込めたメッセージではなかったか。そして、この断、すなわち頓悟を得て初めて『雨月物語』の魔界は氷解するのだ。
そう。『臨済録』も、次のように断じている。

仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。

これが、禪病と、人生に対する上田秋成の『雨月物語』に込められたメッセージです。
『臨済録』が述べているように(この『臨済録』の解釈は、定説的解釈です)、全てが幻だから、たとえ、意識が変容して、佛や父母を見ても、それを消す。
秋成は怪談にことかりて、出家だけに伝えられた人生の極意を伝えようとしました。

『雨月物語』と上田秋成については、知らなくても仕方がありませんが、
オウム信者は、教養がないから、昔から『臨済録』に伝わっている、神秘体験解釈を知らなかった。
また、意識の変性があるという可能性を学校教育などで学ぶ機会がなかったから起きたとも言えます。



オウム死刑囚 それぞれの贖罪
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5217954
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