先に「つぶやき」にも書いたけど、沖縄戦では帝国陸軍の牛島満中将が、沖縄県民の男子(16歳以上だったと記憶している)はすべて軍人とみなす、という命令を出している。
これを知った当時は、沖縄県民全員を戦争の道具にしたのか!と驚き、呆れ、なんて馬鹿な命令を・・・と思ったものだった。
が、後に気づいたことがある。
民間人が他国の軍人を死傷させれば戦争犯罪になる。という現実だ。
民間人は親兄弟、姉妹、妻や子供を守るために、アメリカ兵と戦えば殺されるか、犯罪者になるかどちらかしかない。「みなし」であっても、武器をもっていなくても、軍服がなくても、軍人であれば、戦争犯罪に問われることはない。
その決断がどれほどつらく、どれほど切実であったか、身を引きさかれる想いで、切腹を覚悟して、発令したものであったのではないか、思い至って、心底戦慄した。
アメリカ軍は艦砲射撃、空爆などで沖縄の地形が変わるほど破壊しつくし、上陸後も「ガマ」と呼ばれる横穴式の墓所に隠れていた日本人に対して火炎放射器を使うことまで行っている(そりゃ隠れていたほうも「助けてやるから出て来い」といわれて信用できるわけはない)。
大砲どころか小銃の弾すらなく、残っていた爆薬を箱に詰めた爆雷を持って、敵に自爆攻撃をかけるまで悪化した戦況の中、傷病者を治療する道具も薬もない。まともな食料すらない。沖縄のひとびとは、ひめゆり学徒たちは、防衛にあたった軍人たちは、何を考えていたのか。想像すらしたくない。
海軍も、制空権・制海権のない沖縄へ出撃しても、やられるだけなのはわかっていただろう。だからといって沖縄を見殺しにすることはできなかった。助けることも、できなかった。
海軍太田實中将の「沖縄県民カク戦ヘリ」の電文はいつ読んでも心を揺さぶられる。
もちろん、アメリカ軍も莫大な死傷者を出している。どれほど苛烈な戦いだったか、どんなに恐怖に満ちた戦争だったか、記録は数多く残っている。
戦争を礼賛することは、絶対にできない。
が、戦争になってしまったときに、勇敢に戦い、ひとびとを、子孫を守ろうとしたすべての存在を私は尊敬する。自分たちが、生き残るためにちからを尽くした人々に、敬意を表する。
追悼式の記事を見て、だれかを、なにかを非難するのは簡単かもしれない。でも、私にはできない。ただ、悲しくなるだけだ。
あの恐ろしい戦争で、亡くなられたすべての方に、心から哀悼をささげる。
そして、日本国は「戦争をしなくてもよい国」であってほしいと、心から願っている。
■安倍首相、23日に沖縄追悼式へ
(時事通信社 - 06月21日 18:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5166244
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