読書についていろいろ言われていますが、
読み直しは、大切だと思います。
つまり、かつては、価値が分からなかったものの価値がわかるようになる…ということがあるからです。
たとえば、私が前から考えていた問題の一つとして、、
「個人と全体の原理が違う」(部分と全体の原理が違う)
というものがあります。
個人を富ませる節約は、全体の景気にはむしろマイナスに作用する。
無限集合は、有限集合とは異なった性質がある(カントールの業績を解説した本を読んで大変感銘を受けました。内容の記憶は不確かです。)
また、mixiに「他人の学歴を頻りに知りたがる人」というのが出てきました。
もちろん、感心しませんが、なぜ感心しないかというと、学歴というものに本当に価値があるとしたら、その人はそのことを意識しないはずだからです。
などなどを考えていたのですが、昨日、日記を書いてふと読み直した
『金剛般若経』(通称、『金剛経』)に、凄いことが書かれていました。
その一端を紹介します。
しばし、おつきあいください。
須弥山のように体が大きいものがいても、その体は大きいとも大きくないとも言えない。体は空(たまたまそう見えること)だからだ。
数えられた塵とは、実際の塵ではない。区切られた世界とは、真実の世界ではない。だからこそ、世界と、名付けることができるのだ。
信心を生じた衆生は、居るとも言える、居ないとも言える。
衆生から見れば、衆生は、居るのである。菩薩から見るなら、衆生は、居ないのである。また、菩薩とは、信心が生じた、衆生である。
そして、『金剛経』に登場するお釈迦様は、悟りはありがたいものだが、
川を筏を使って渡ったら、筏は乗り捨てていくように、捨てていくものだと言います(いや、おっしゃいます)
私は、『金剛般若経』は、今まで、相対主義や虚無主義だと思っていましたが、とんでもない間違いでした。
たとえば、快楽があっても、空(たまたまそう見えるだけ)だと。
そうではなく、
1 部分に対して言いうることは、全体には言えない。
2 1を言おうとするから、言葉(レッテル貼り)が生じる。
3 成就したものは、意識されることはない。
という、壮大な、極めて現実的、世俗的(没宗教的)な真理が語られている書物でした。
http://yusan.sakura.ne.jp/library/buddha_kongohannyakyo/
(訳として、分かりやすく正確です)
https://book.bfnn.org/books/0040.htm
(有名な、三藏法師 鳩摩羅什 の訳です。お経としては平易な漢文です。)
読み直しをすると、発見があります。
だから、若いころの早熟な読書家は、損をしていると言えます。
また、下らない入門書に頼ると間違えるとも言えます。
■読書離れは若者だけじゃない! 中高年が本を読まないスマホ以外の理由
(しらべぇ - 02月02日 11:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=4969758
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