プーチン大統領閣下! 〜モスクワにどんどん公衆便所を建ててください!〜
はるか昔のことであるが、約40年ほど前初めてモスクワを訪問してから、既に私のロシアへの短期出張(1週間から1ケ月)は100回をはるかに超え、もう渡航回数もはっきりとは分からなくなってしまった。しかし、旧ソ連時代から今までのロシアのトイレ事情や様々なトイレに関する体験談をお話すれば、軽く1時間は超えるであろう。
今日は少々不潔で臭い話で申し訳ありませんが、旧ソ連、ロシアのトイレに関するお話をさせていただきます。
さて、先日ウラジオストク出張中耳にしたトイレに関するアネグドート(ロシア小話)から先ず話を始めてみることとしたい。
〜旧ソ連時代、ロシアのある高名な大学教授が夫人を伴って来日し、東京の学会に出席し、一流ホテルで数日間楽しく過ごした。そして、帰国する際に夫人が教授に思いつめた表情で「私トイレでもいいから日本にずーっと住みたいわ!」と興奮して感想を述べたとのことです〜
その頃、旧ソ連では水洗便所は主要な場所では一応普及してはいたが、全国どこに行ってもトイレでは苦難の連続であった。
宇宙ロケットを飛ばし、核弾頭何万発も所有する国、ソ連では、まず、トイレットペーパーというものがほとんど存在しなく、あってもソ連共産党機関紙プラウダがおいてあれば良いほうで、ブレジネフ書記長が腕を振り上げた勇ましい演説姿の顔写真付きプラウダを引きちぎり、もみしだいて若干柔らかくしてお尻を拭うというありさまであった。正に北朝鮮であれば銃殺ものである。しかも、硬い新聞紙などはトイレには流せず、便器わきの蓋のないバケツに丸めて捨てるのであり、次々と汚物付きのプラウダがバケツにこんもり溜まり不潔極まりない代物であった。
また、ある時モスクワの巨大なシェレメチェヴォ空港で出国手続きのため長い行列に並んでいると、着飾った日本人中年女性の一団が行列に加わってきた。そこで、久しぶりに日本語がしゃべれるので、つい嬉しくなって「ロシア旅行はいかがでしたか?」とお尋ねすると、その女性は目を剥いて不満を爆発させ「二度とロシアには来ないわ!」とのたまうではないか。
何がそんなにご不満かを尋ねてみると、「だって、レニングラードのトルストイの別荘を見学し、ガイドのロシア女性にトイレはどちらと聞くと、あなた、わきの草むらを指さすのよ!」とのたまい、堰を切ったように次々不満をまくし立てるではないか。では、他には何かと恐る恐るお聞きすると、一層甲高い声を張り上げ、「夕方疲れ果ててやっとホテルに帰着し、お風呂でもつかってゆっくりしたいと思って、タブにお湯を張ったの。するとあなたお湯がまるでドブのように汚れていて、本当にびっくりよ!とてもお風呂になんか入れないわよ」とのことで、前述のような「二度とロシアには来たくない」との火のようなお怒りのお言葉となったのである。レニングラードはもともと湿地帯で、その沼地や軟弱な土地を埋め立てて、ヨーロッパ風の瀟洒な街並みを建設したもので、余り奇麗な水は採取できないのか、又は経済が疲弊しきった旧ソ連時代末期、水道管が老化して錆びだらけであったのかもしれないが、確かに風呂の水は時折とても濁っていた。
また、ある時弊社モスクワ事務所代表を依頼していた元海運省の高官を創立15周年記念パーテイーに招聘し、レストランで食事中、彼は「日本はとても文化レベルの高い進んだ国でとても気に入っている。しかし、困ったことが一つある」とのことで、それは何ですか?と聞くと、彼曰く「高級レストランで食事中トイレに行きたくなった際、日本では必ずウエイトレスにトイレの場所を聞かなければどこにあるのか全く分からず、少々具合が悪い」というのである。では、ソ連ではとお尋ねすると、「ソ連ではトイレの方向から必ずかすかに臭気が漂っており、ウエイトレスにも何も聞かなくても、トイレの場所がすぐわかり、とても便利である」とのことであった。
また、旧ソ連崩壊直前ゴルバチョフ時代となって、それまでの外国人立ち入り禁止から開放され、初めてベールを脱いだウラジオストクを訪問した時のことであるが、現在の近代的なウラジオストク空港とは様違いで、古ぼけた単なる田舎の寂れた建物であった。トイレは地下一階にあり、タイルが剥がれた階段を下ってゆくと、只ならぬ臭気が漂ってきて、鼻をつまんで用を足す始末であった。しかも、便器もあちらこちら割れており、水も漏れっぱなしで、床には酔っ払いが寝転んでいるという有様であった。
ある時、日本の地方議員のご一行が空港に到着し、華やかに着飾った奥方様を引き連れてロビーに入ってこられ、2−3名のご婦人方が香水の香りを振りまきながら急いでトイレに向かわれた。しかし、あにはからんや、階段を数段降りると血相を変えて、急ぎ足で引き返し「ここのトイレにはとても行けないわ」と声を震わせてのたまう有様であった。
しかし、それから1年後に私がウラジオストクを訪問すると、既にトイレはピカピカに改装され、有料トイレに変化し、入り口で老婆が入場料を徴収している場所となっていた。私は到着直後でルーブルの持ち合わせがなく、1ドル札を出すと、老婆は「そんな高額は受け取れません」と毅然とした態度で、無料入場を許可してくれた。
そして、私が用を足して出てくるとその老婆は手にクシャクシャの部厚いルーブル札を握りしめて入口に立っており、真剣な顔で先ほどの1ドルを売ってくれと懇願するのである。
これには感動した。当時ペレストロイカが始まり、とかく「金が仇の世の中」に激変したロシアで、こういった純情なロシア人がいるのには驚くと同時に、再度ロシアに惚れこんでしまった私の逸話である。
さて、その後、ロシアではゴルバチョフから、エリツィン、プーチンと次々大統領が変遷し、急激に経済発展を遂げ、全国都々浦々は大きく変化し、近代化が進んでおり、かつての共産主義、社会主義のスローガンに変わって、街中ネオンサインが華やかな広告を流しており、今やどこの町でも大型スパーが軒を連ねて開店し、あらゆる消費物資も豊富に溢れかえる国となっている。そして、勿論トイレットペーパーも完備されている。但し、公共機関や駅などの周辺に公衆便所が極めて不足しており、時折難渋することもある。昨年モスクワ訪問時には地下鉄で移動中腹痛を感じ、至急公衆トイレを探し回ったが見つからず、駅員に尋ねると「近くにはありません」と冷たくあしらわれ、「野外でどうぞ」と勧められ、やむなく駅近くのこんもりとした林の近くまで走りより、倉庫の陰で用を足し事なきを得た。しかし、周りには茶褐色の髑髏を巻いた塊が列をなしており、ロシア人も日本人も同じことを考えるものだと変なところで感心したものである。
プーチン大統領閣下、お願いです!モスクワに公衆トイレをどんどん建ててください!
岩佐毅(平成30年1月10日)
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