母が他界。
悲しいことではあるが、ひとは誰であっても必ず死ぬ。これだけは確実。
宗教の役割のひとつは「生き残ったものの苦しみをすこし和らげる」ことでもある。
経典の民(ユダヤ・キリスト・イスラム)は死者は「神の御許で永遠に幸せに暮らす」ことを信じる。
仏教(など)は死者が輪廻という苦しみの連続から解き放たれ、二度と苦しまない境地(涅槃)に達することを願う。
どちらも、それを信じることによって、生き残ったものたちの悲しみ、苦しみをすこし減らすことができる。
そのために、日々、悪いことをせず、良いことを行って、自分を少しづつ浄めていく。
それを怠れば地獄に落ちるのか、またはもう一度生まれ変わって苦しむかもしれない。
天国に行けば「思い定めたるままを成し得る」のだろうか。
涅槃に至れば「すべての苦しみから解脱できる」のだろうか。
残念ながら生者にはわからない。
そう自分に言い聞かせることで、少しだけ、楽になれる。怖れを減らすことはできる。
だからこそ、宗教は自分のためのものであって、他人に向けるものではない。決して他者を攻撃するためのものであってはならない。害をなすものであってはならない。
現世の「利益(りえき)」を目的とするものではない。信じたからといっていいことがあるとは考えないほうがいい。
宗教がもたらす「利益(りやく)」は生き残ったものの悲しみをすこしだけ、減らしてくれること、それだけでいい。
南無阿弥陀仏。
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