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2017年05月02日10:21

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山陰遠征−26/安来・月山富田城跡(前編)

この土曜は津山の展示会の後、いつものメンバー4人で城郭探訪ツアーを敢行した。
行先は岡山・県北の山城と思ったが、県境を越えて山陰へ・・以前から行きたかった島根県安来市の「月山富田城」へ・・
「月山富田城」(がっさんとだじょう)は出雲国(京極高詮)守護代として尼子氏が応永2年(1395年)に入城。
その後は尼子氏の拠点として、大永元年(1521年)には山陰、山陽11ヶ国を制し全盛を迎えるものの、毛利軍に敗れ滅亡している。
それでは現地の風景をじっくりと紹介しよう。

・TOP左画像
米子から西へ・・安来市広瀬町へ入ると道沿いに「山中鹿介生誕の地」の大型看板を目にする。

・TOP中画像
広瀬町を縦断する川沿いの道路から「月山」山頂の石垣や平地(郭)が確認出来る。

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↑(TOP右画像)
「安来市立歴史博物館」
到着した時間がお昼を過ぎたので現地で昼食後、博物館に立ち寄った。
ここには観光案内所も隣接しており、登城口に立地している。

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「月山富山城」のジオラマ
中腹部の平地と比べて山頂部は急斜面で高くなっている事が良く分かる。

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「月山富山城」の屋外ジオラマ
等高線の板状の金属板で造られている。

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「御子守口」
博物館に駐車してここから入場する。

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「千畳平」
麓には桜を植えて公園化している。

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「尼子神社」
尼子三代城主(経久、晴久、義久)と尼子十勇士を祀っている。

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「太鼓壇」

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「山中鹿介幸盛」の銅像
尼子再興に忠義を果たす為、秀吉軍に加わり「上月城」(播磨)を守備したが、毛利軍の猛攻により落城。
鹿介は「備中松山城」へ向かう途中で暗殺される。
大河ドラマ「官兵衛」にも登場したのでお分かりと思う。

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「花の壇」の侍所(復元)

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中腹部から月山の山頂部を望む
ここから見上げる景気は中々イイ。

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「史跡富田城跡」俯瞰図看板
城内各所に案内看板を設置しており観光名所として中々良く整備している。

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「御殿平」
「月山」西端の中腹部に位置する。
「富田城」中心部で、3000�屬△泙蠅諒臣呂法峪鈎羝翕臓�(さんちゅうごてん)と言われる建物が密集していた。

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「大手門跡」
幅15m、高さ4.5mの城壁跡で城郭の北、西、南口の合流地点で表門になる。

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北入口の「菅谷口」と南入口の「塩谷口」
それぞれに枡形空間を持つ虎口の櫓台による厳重な構えを見せる。

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さあ、ここから「本丸」山頂を目指して登城しよう。
つづく
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