ここ数年、生徒のレベルは爆下げです。
なぜかといろいろ考えましたが、
一つは書くという作業の衰退です。
人に見せない日記であっても、書く作業は内面の客観化です。
この自己客観化ができないと、客観的な指標は、全て世間の指標から借用することになってしまいます。
ネット住民は、権威主義的であるのはそのためです。
囲碁の世界に「大局観」というものがあります。
勝っているか負けているか、勝つためには何をどうしたらいいかを、今問題になっている局面だけではなく、遠望することですが、
この「大局観」がない人が多いです。
従って、世間的に優秀という分類に入る人も、
たとえば、
toeicやダイエット、異業種交流など、何か自分のスペックを上げることに血道を上げるということになります。
ところが、そういうスペックは中性的なものです。
本当に英語を使えるということと、toeicのスコアがいいということは、イコールではないでしょう。
交換した名詞の数が、人脈ではないのは言うまでもありません。
パソコンにたとえると、
我々は、OSを中心にゆっくり進化し、ソフトを徐々に作り上げていくパソコンです。
外部に素晴らしいソフトがあっても、ドライバーを作り上げていかないと、取り込めないからダメです。
それが欠如しています。
だから、
勉強はするが、知識を取り込めない、使いまわせない人が増えています。
従来は、「頭が悪い」の一言で済まされていましたが、それはどうも違う…というのが、最近の考え方です。
あろうことに、学者まで飛び火しています。
本文の些末なところが語学的に読めても、本文そのものが読めていないというタイプが散見されます。
まあ、そうならないためにも、
自分の日記を書くことは大切です。
人に見せてもいいですが、
自分自身の考えを客観化することでしょう。
「大局観」はそこからしか育ちませんし、
外部の有益なコンテンツを自家薬籠中の物にする「ドライバー」も、そこからしか生まれません。
22年前の小学生のときに書いた個人新聞が素敵すぎる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=58&from=diary&id=4359756
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