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2016年04月03日06:53

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「青頭巾」の悟り  --『不動智神妙録』と『快庵的伝禅室内秘書』  下

三 「月」と「浄瑠璃」

『証道歌』解釈に画期的な新生面を拓いた著名な論文に、大谷雅夫氏『『青頭巾』の問い―――江月照松風吹 永夜清宵何所為』(平成18年「国語国文」)がある。
大谷雅夫氏は「今まで未解決のまま放置されていた」証道歌について、「永夜清宵何所為」の最近の解釈は、「何の為であるか」「何のしわざか」の概ね二つに分かれると指摘する。しかし、坪内孝の大正10年の『雨月物語詳解』では、「何をするのか」とされ、徳本正俊、山田武、澤田総清、龍澤良芳氏らが、昭和初期になした注釈書も同様であるとしている。要するに、禅研究者や僧侶の間での証道歌解釈が割れていることを指摘している。 では、どちらが正しいかというと、氏は膨大な漢籍の用例の精密な解釈と、当時、上田秋成が手にしえたと考えられる注釈書の分析から、

…『証道歌』の「江月照松風吹 永夜清宵何所為」は、月が照り、風が吹く美しい自然は何の為に存在するのか、あるいは何が作ったのかという問いでなかったことは確実である。その句は、本来は、自然そのもののありかたを云々する言葉ではなかった。人がその中で何をなすべきかを問う言葉であった。

としている。
たしかに、他の文献との関係を文献学的に探る前に、『証道歌』を語学的に正確に理解することこそ先決問題である。そして、読みの内容の点でも、大谷氏の所論は盲点を衝いたものであった。「何をすべきか」という訳案には、全面的に賛成する。いや、書かれるところを学生に戻った心境で、一字一句を孜々として吸収したと述べるべきであろう。詳しくはこの論文を一読されることをお勧めしたい。
しかし、大谷氏が、『証道歌』の文脈を精査した上で、この句の結論的な解釈として述べている、

…「江月照松風吹」という句中の「照」「吹」は、心中に収められた「如意珠」「戒珠」を月が照らし、風が吹くという意味に理解されるであろう。(中略)己の内なる仏性が月を照らし、風が吹くという表現と理解するべきである。

は、首肯できない。公案として切りとられた禅籍の一句は、元の禅籍の文脈から半ば自立しているという理由もあるが、『快庵的伝禅室内秘書』(注13)という書物の内容と合わないからでもある。『青頭巾』は冒頭で、快庵を「教外の理をあきらめ給ひ」た僧として設定しており、教外別伝のおかげで鬼僧を教化したと読めるので、快庵が再建した「青頭巾」の舞台である下野国大中寺の門参の筆録であるこの書物は避けて通れない。長島弘明氏(注14)もすでに引き、文献学的な詳細な解説を加えておるが、改めてその内容を検討してみよう。 以下、大谷雅夫氏の顰に倣い『秘書』と略す。公案「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の問答は、弟子の答えを否定した後、師僧は、次の答えを与えた。

…物に比輪ニ堪エル無シ。我、如何説ヲ教ヘシメン。心ハ、大極十満ノ旨ノコトダ。大極ニ十 満ノ時キ、比輪無堪コトヨ。程ニ。此旨ナラバ、我ヲシテ如何説カシメンデコソアレ。扨テ説キタラバ、如来ニ落在シタコトヨ。ソレデハ何デモ無イナ。古歌ニ云ウ。「松島ヤ小島ノ――」トイウモ、向デオリャルトイウ。何トモ展ベラレヌ旨ガ走ゾ。

大意は、

…比較して考えることができない状況だ。私はどうやってこれを教えるかというと、全てが充満している意味だ。全てに充満しているとき、比較して論じることができない。もしもこの意味なら、私はどう説くか。仮に説くとしたら如来に落在したことよ。何でもないことだ。月を見て涙を流すしかないというのも一つの対処方法で、そこから何の発展も出来ないことだ。

『秘書』の師僧は、さらに 「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の心境をこう難じている

…代云。 形チワ松ト共ニカシケ、心ハ月ト共ニ砕ケタガ 、吾ガ心ワ、何ニカ似タル/\。心ハ、爰ヲバ前ノ修行ノ落付キト心得サシ、爰ニ何ントモ手ワ付ケラレテコソ。或イハ唯独自明了余人所不見ト云モ向ダ。

私に訳すと、

…代わって言う。形は松と共に欠けて、心は月と共に砕けたが、心は何に似ているのだろうか。ここを最初の修行の落ち着き先(修行の第一段階)と心得た。ここに何か手を付けられて(はじめて)、あるいは、唯独自明了余人所不見ともいう言葉もこの意味で実現する。

そもそも、『秘書』が公案として掛けられたことは、一体、何を意味するのか。弟子たちは、坐禅を組んで公案を考えた、もしくは、公案を考えることで坐禅行を振り返ったということである。さらにまとめとして

…我ガ家ヱノ密意ヲバ、愁意デ保ツタ。薬山・雲居・船子・夾山、末孫ニ至 ル迄デ、爰ニ心ヲ掛ケタ。愁意愁情ノ旨ガ無カ郎ニワ、修行者デヲリヤルマイナ。亦、四代和合、天地陰陽、仁義・借教・意・無常ノ四ツガ相応シテ、人相具足ノ体ダ程ニ、体ヲ受ケタ郎ニワ、愁情ワナウテワ、六祖道体ト心得サシ在ルガ、亦タ其コラモ詰タ修行デヲリヤルゾ。心得大事也。

と結ばれている。大谷雅夫氏は『秘書』の「愁」を、大中寺門参の最高の境地と述べている。確かにその通りであるが、しかし、「愁」は、このままでは何の発展もできないことを戒めた言葉である。坐禅道場である大中寺が、「我ガ家ヱノ密意ヲバ、愁意デ保ツタ。薬山・雲居・船子・夾山、末孫ニ至 ル迄デ」ここに「心ヲ掛ケタ。」という以上は、座禅行の要の注意点であるとしか考えようがない。「何ントモ手ワ付ケ」られない、坐禅の「修行の落ち着き先」とは、是非とも乗り越えなければならない関門であり「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の公案とは、この修行途次の段階の魔境、すなわち、坐禅者が避けて通れない、通過点としての障害の戒めである。その魔境を自覚して「愁」うことこそ、修行者の絶対条件なのだ。したがって、「形チワ松ト共ニカシケ、心ハ月ト共ニ砕ケタガ」とは、その障碍の本体であるに違いない。そう考えると、問題の『証道歌』の後半の字句、「永夜清宵何所為 」の意味するところがおぼろげに像を結んでくる。参禅中にすがすがしい気分で自足してしまい、月が消えて、すがすがしい江の月と松風が織り成す外界の景物が壊れても気づかない状態である。仏道修行途次の魔境については、『首楞厳經』(巻六)(注15)などに古くから論じられているが、現代的な言葉で、心理学的に禅の内実に踏み込んで述べた、斎藤稔正氏の論考、「変性意識状態と禅的体験の心理過程」(注16)には、「時間感覚の喪失(時間の持続,経過の観念がなくなる)」「主観と客観の差の感覚の喪失(主客一如の一体感の体験)」の二つが挙げられている。「青頭巾」の本文の、「影のやうなる人、僧俗ともわからぬまでに髭髮もみだれしに、葎むすぼほれ、尾花おしなみたるなかに、蚊の鳴ばかりのほそき音して、物とも聞えぬやうにまれまれ唱ふるを聞けば」と、鬼僧が悟りの直前まで一年も公案を唱え続けていたという描写は、この時間感覚の喪失を暗示したものであると考えれば、腑に落ちよう。 
最初の引用部分にある「唯独自明了余人所不見」は、『法華経』に見える最高の悟りの境地であるが、立花俊道が『原始仏教と禪宗』(注17)において、「方に信ず、此の一段の因縁は傳ふべからず學すべからず、須く自證自悟自肯自休して方に始めて徹頭すべし」という大慧の言葉を引いてすでに説明しているとおり、「唯独自明了」とは、自らが自らの因縁や業欲を知ること、つまり裏返せば「余人所不見」のものとなる悟りのことである。外物の変化に気づかず「江月」と「松風」になぶられるがままの状態では、唯独自明了余人所不見の悟りには到達できないことは言うまでもない。「青頭巾」の鬼僧は、自らの業欲を矯めることはできないし、『秘書』の文脈でいうならば、自分を仏にしてしまって自足して身動きが取れない状況に「落在」する。そして、身動きが取れない。先に引用した『秘書』が、「如来ニ落在シタコトヨ。ソレデハ何デモ無イナ。古歌ニ云ウ。「松島ヤ小島ノ――」トイウモ、向デオリャルトイウ。何トモ展ベラレヌ旨ガ走ゾ。」と戒めるところである。『不動智神妙録』がいう、「妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不レ申候。」との状態になるからである。
ここで、「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の一句が修められている『証道歌』文脈を振り返ってみよう。問題の「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の禅掲が出てくる直前直後は次のように説かれている。

…一超直入如来地 但得本、莫愁末 如浄瑠璃含宝月。我今 解此如意珠 自利利他終不歇。江月照松風吹 永夜清宵何所為 仏性戒珠心地印 霧露雲霞体上衣。降龍 缽 。解虎錫。兩鈷金環鳴 歷歷 。不是標形 虛 事持。如來寶杖親蹤跡。不求真。不斷妄。了知二法空無相。

仮に大意を取る。

…(頓悟禅の修行をすれば)直ぐに如来の境地に直入できる。ただ根本のことを得るべきであり、枝葉末節のことを愁えてはならない (その如来地は)浄瑠璃の宝珠に月が映っているようなものである。江月は照らし松風が吹いている。この長い宵をどうするのか。いやどうにもならないではないか(『 江月照し松風吹く、永夜の清宵何の所為ぞ』)私の仏性には既に戒が具わっている。霧、露、雲、霞が付いた衣服を着ているようなものである。仏陀が火竜を封じ込めた鉢を持ち、猛虎をなだめた錫杖をつく。両鈷の金環はいつも確かに鳴っているのだ。 それらの鉢や錫杖はただ形式的に持っているのではない。仏祖が歩んだ古道を歩み実践するためである。私は真をも求めず、妄をも嫌わない。真や妄などの二項空なるもので姿が一定しないと悟っているからだ。

公案としての断片を評釈した『秘書』が、『証道歌』全体をどのように捉えているか、詳らかではないが、「不求真。不斷妄。了知二法空無相」との一節からも、「大極ニ十 満ノ時キ、比輪無堪コトヨ」という状態は、「如浄瑠璃含宝月」の悟りと逆の状態であることは明らかである すなわち、『秘書』の師僧は、悟りから遠ざかっている魔境として、この二句を提示したのであった。したがって、浄瑠璃に映る月と、「江月」を同一のものとみなすことはできない。
浄瑠璃の月こそ、悟りを象徴する月である。古来、月は悟りの象徴として用いられ、和漢に枚挙に暇がない用例がある。そのあるものは、浄土の光に月をなぞらえているなど、基礎とする思想はまちまちであるが、道元もまた、「万法のわれにあらぬ道理はあきらけし」と、「自心自性」は常住ではないと説いた後で、悟りを次のように月になぞらえている。以下の道元の言説をみると、なぜ、悟りを象徴するものが月であらねばならないか、心中深く領得できるものがある。

…人のさとりを得る、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も草の露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。 (『正法眼蔵』「現成公案」)

道元の「尺寸の水」「草の露」の比喩は、『証道歌』の浄瑠璃と正確に同じものであり、人間の精神を指すことは言うまでもない。そこに月の光が宿るのであるから、悟りとは、ノエシス(考える主体としての自己)とノエマ(自分の意識の中の対象)のどちらでもなく、かといってあわいに現象するとも言えない。ノエシス、ノエマの全体を包含する性質として現象するもののであり、一つであり、主客に分裂させることができないものである。この思想は、禅のスタンダードといっていいものだろうが、悟りの本体は、浄瑠璃を照らす月の光であるから、その人の器量の大小を問わず、誰に対しても遍在し開かれている、個人を超えたものに相違ない。
『不動智神妙録』を再び振り返ってみよう。沢庵は、心を放すと、猫が雀を取るように「悪敷道」へ行くとした。それから、「心を収め」、「水の如く一所に留ら」ざる「本心」を実現せよと説いた。最初の段階の、猫が雀を取るように放たれた心が「悪敷道」へと行くことは何を意味するかというと、心が外物を志向するというあり方全てに当てはまるから、俗人の体験一切を意味する。色欲は言うまでもなく、およそ五蘊を乱すもの、五欲に相渉るものすべてである。『六祖壇経』(坐禅品五)に「外離相即禪,內不亂即定。外禪內定,是為禪定」(相を離るるは即ち禪。 内、乱れざるは即ち定なり。 外禪にして内定なる、是れを禪定となす)とある通り、個人の体験全てが「外」であり、それについての表象が「内」であるから、個人の体験や思いはあろうが、それはそれとして、それら業と呼びうるものに一切とらわれないこと、しかも、同時に自らの因縁や豪欲を自覚し思い知ること。先に述べた「唯独自明了余人所不見」の心境となることが禅定なのである。
沢庵が直接想定した、相手の文脈と自分の文脈のぶつかり合う剣術の果し合いのように、この世の本質は矛盾と変化である。局限された個人の体験にとらわれる以上、剣術の果し合いにも勝てぬし、外物の変化という現実について行けない。外物との距離感を喪失した状態を悟った鬼僧は、まさに自他の対立をどうとらえてその中でいかに生きるべきかという、世界観の転換ともいうべき「回心」を得たのである。

四 結語。「青頭巾」の即身成仏批判

鬼僧が快庵に帰依して、自身の救済を依頼するきっかけとなった出来事は、次の通りである。

…夜更て月の夜にあらたまりぬ。影玲瓏としていたらぬ隈もなし。子ひとつともおもふ此。あるじの僧眠蔵を出て。あはたゝしく物を討ぬ。たづね得ずして大いに叫び。禿驢いづくに隠れけん。こゝもとにこそありつれと禅師が前を幾たび走り過れども。更に禅師を見る事なし。堂の方に駈りゆくかと見れば。庭をめぐりて躍りくるひ。遂に疲れふして起来らず。

悟りを象徴する月が照って、快庵の肉を喰らおうとした鬼僧には、快庵の姿は、見えなかった。なぜか。快庵は、「不求真。不斷妄。了知二法空無相。」という浄瑠璃の境地だったからである。だから、肉である快庵の身体は見えなかった。「水の如く一所に留ら」ない自在のものは、欲の対象にはなれない。沢庵のいう「蓮の泥に染まぬが如く」という相手の文脈に絡めとられない状態を象徴的に語った寓話であると考えれば、この唐突とも思える「青頭巾」の展開部は、腑に落ちよう。  ≪トル≫実は、『正法眼蔵』「仏性」にも、同様の話(注18)がある。那伽閼刺樹那(ナーガルジュナ)すなわち龍樹が、自在心の境地を聴衆に対して体現した結果、聴衆はその姿を見ることができなかったという話である。「身言円月相、以表諸仏体、説法無其形、用辨非声色。」という偈で結ばれている。表現こそ異なれ、先に挙げた『六祖壇経』の「外離相即禪,內不亂即定。外禪內定,是為禪定」の境地であり、この最高の境地を、快庵は、体現した。快庵は、『遠駝延五登』にある、「有を棄、無に帰す覚悟を修し得たる人」であった。だから、鬼僧は頭を垂れて、救いを乞うたのである。
『秘書』の「如来ニ落在シタコトヨ」という言葉がいみじくも示唆しているが、死んだ稚児への思いという自足的で出口のない表象にとらわれ外界さえも見えなくなってしまう鬼僧の描写は、即身成仏の批判以外の何ものでもあるまい。空海の『即身成仏義』は、「六大無碍にして常に瑜伽なり。四種曼荼羅おのおの離れず。三密加持して速疾に顕わる。重重帝網なるを即身と名づく。」と即身成仏の本質を歌にしている、六大や四種曼荼羅が融合しあい、身口意の加持によって、悟りが得られ、帝釈天の宝珠が互いに光を写しあうが如くして実現するとされる、印と真言の作りなす即身成仏の境涯は、直観的である。対自的反省がなく、仏となった我こそが最も尊い存在とみなされてしまうから、先に引用した、「さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。」とした道元らの悟りと異なり、魔境に入った自己を修正することは、困難である。巷間、「大日如来が下りてきたと思いきや、下りたのは魔物で、信者から高額な布施はとるは、若い女性信者を侍らせるは、金キラキンの伽藍は立てるは…」という芳しからぬ事態になった新興宗教や拝み屋の風聞を耳にする。まさに、『首楞厳經』に説かれている、空魔や欲魔の所業そのものだが、ジョン=ロック(注19)やカント(注20)も批判しているように、表象に即自的にのめり込む危険性は、自明のものである
ことは仏道だけではない。我々は、様々な個人的な体験やそれが醸し出す様々な表象からなかなか逃れがたい。体験は「有」である以上、なかなか相対化できないからだ。鬼僧のように「直くたくましき性」の持ち主なら、なおさら、外物に心を絡めとられ、是非の分別も外界の正確な認識もなく、即自的に対象と一体化し我を忘れてしまうだろう。程度の差こそあれ、かく、自己の体験に固執し、恐怖や思い込みなど悪しき表象を引きずりながら、酔生夢死の生を送るのが、我々凡夫の大半であり、ここに、衆生の業の本源的な姿がある。この図式を崩し、個人的な体験から生じるうたたかの表象を、刹那生滅の虚妄と断じ切ることこそ、上田秋成が『雨月物語』に込めたメッセージではなかったか。そして、この断、すなわち頓悟を得て初めて『雨月物語』の魔界は氷解するのだ。
そう。『臨済録』も、次のように断じている。

仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん(注21)   



注1 平成27年 拙論「謀られたる左門こそあはれなれ ―「菊花の約」論」(公益財団法人無窮会「東洋文化」)赤穴を美しく誤解した左門は、「腹心爪牙の家の子」との固い絆で結ばれていた尼子経久一党を悪と決めつけて理の合わぬ仇討ちをしたという内容。
注2 新編 日本古典文学全集78『英草紙/西山物語/雨月物語/春雨物語』
注3 平成8年『上田秋成の古典感覚』五「『青頭巾』新見」解説
注4 昭和56年 『図説 日本の古典上田秋成』所収「上田秋成の世界――その伝統の中の個性」
注5 昭和34年「日本古典文学大系」解説
注6 平成6年『文芸研究』所収「秋成『魔佛一如』観批判 ―「青頭巾」を巡って」
注7 臨済宗と煎茶道の関連は深い。大典顕常(相国寺113世  1719 〜 1801 )という臨済宗の高僧がいる。わが国初の茶経への注釈書である茶経詳説を相国寺のもとで著した僧侶である。黄檗宗の僧侶として人生の大半の時間を過ごした売茶翁( 1675 〜 1763 )とは、『売茶翁伝』を著すほどの煎茶道を仲立ちにした唇歯の間柄であった。大典顕常や売茶翁と秋成の具体的な影響関係については、今後の研究を俟つとしても、秋成の生きた時代( 1734 〜 1809 )と重なる時代に、「世間的価値とは別の、特有の価値観が形成され、あるいはコンセプトが提供されるのである。つまり、結果として、精神的パトロネージが発生している」(田中優子( 平成5年「江戸文化のパトロネージ」『日本の近世』 11所収)と田中優子氏が述べているように、茶を供して話をするという、売茶翁が上方に作った全く新しい文化サークルの影響を秋成が受けなかったとはきわめて考えにくい。
注8 寛永年間成立 沢庵が柳生宗矩に与えた書とされ、後のいわゆる「剣禅一如」の思想の基礎的文献になる。引用は、岡山研同編著『柳生論語』昭和十六年刊によった。
注13 昭和55年『快庵的伝禅室内秘書』(久松抱一旧蔵 升水達郎著)の、「江月照松風吹 永夜清宵何所為」と題された項目の全文は次の通り。
江月照松風吹 永夜清宵何所為――何ゾ。先ヅ是レハ、永嘉ノ真覚大師ノ澄道歌ダ。是ヲ曹渓ノ一宿客ト申シタ。心ハ、一夜ノ内ニ黄梅ノ的伝の旨ヲ得テゴザアルニ依ツテ、向ウ号シタ。的伝ト云テ、何ンデモ取リ渡シタ羊ナコトデハ無イ。太平不断ノ道ニ叶ウ一宿客ト申シタ。六祖ノ時代ニワ、仏法商量ノサタモ無ツタ。太平不断ノ道ニ叶ウヲ、血脈不断ノ一脈ト云ウタト云テ、他ヨリ得タ事デハ無イ。叶ヲ以テ伝トシタ真覚モ此ノ旨ニ叶テ、曹渓ノ路上ノ在ラ増シヲ歌テ御―――ルト云テ、歌イヨウハ、何ント江月――為ゾ々々ト歌ツテ御――ル。扨テ寒イ胸旨デハ無イカ。 爰ニ何ントモ路チャリワ無イコトダ。サテ路チャリガ在ツテコソ此ノ夜景ニ背イタ事ヨ。
何ンノ所為ゾ/\。終イニ明ラ目ワ無イ。明メノ無イコソ。此ノ夜景当人ヨ。爰ワ向ウモ云ヱバ垢ダ。師云。澄道歌ノ修行ヲ云ワシ。挙ス。在ル時キ、師ノ前ニ行テ、只ダ皈ル也。嫌云。走模様ヲ作スコソ、拈杖堅払ノ堂中ヨ。夫レデワ澄道歌ノ旨ニワ至ラレテコソ。挙ス。月ニ吟ジ花ニ嘯イタ迄デ走。嫌云。イヤ夫レワ黙ダナ。夫レコソ早ヤ達磨ノ古ル布団ニ昨ツタコトヨ。其レデワ真覚ノ旨ニワ至ラレマイ。挙ス。爰ワ、師在ル時ヲ不知、自然ニ背手ニシテ飄然ト仰面シテ、鼻声ヲ鳴シテ、大極ニ突クトミ入テ、扨テモ面白イ夜スガラカナ/\ト歌テ皈ル也処ヲ。師嫌テ、夫レモ垢ダ処ヲ、亦タ只ダ飄然トシテ、ズイト皈ル也。師拶。作麼生。代云。物無堪比輪教我如何説。心ハ大極十満ノ旨ノコトダ。大極ニ十 満ノ時キ、比輪無堪コトヨ程ニ、此ノ旨ナラバ、我レヲシテ如何説カシメンデコソアレ。扨テ説タラバ、如来ニ落在シタコトヨ。夫レデハ何ンデモ無イナ。古歌云。松島ヤ小島ノ――ラント云モ、向デヲリヤルト云ワ、何ントモ展ベラレヌ旨ガ走ゾ。師云。孤独愁人ト成り羊ヲ。代云。忘然トシテ仰面低頭シテ皈ル処ヲ、意何ニカ似タル。代云。形チワ松ト共ニカシケ、心ハ月ト共ニ砕ケタガ、吾ガ心ワ、何ニカ似タル/\。心ハ、爰ヲバ前ノ修行ノ落付キト心得サシ、爰ニ何ントモ手ワ付ケラレテコソ。或イハ唯独自明了余人所不見ト云モ向ダ。三世歴代共ニ此景ニワ会得セヌゾ。或ニハ孤峰閑臥無余事独唱無生一曲歌ト云モ、向デ在郎ズ。我ガ家ヱノ密意ヲバ、愁意デ保ツタ。薬山・雲居・船子・夾山、末孫ニ至 ル迄デ、爰ニ心ヲ掛ケタ。愁意愁情ノ旨ガ無カ郎ニワ、修行者デヲリヤルマイナ。亦、四代和合、天地陰陽、仁義・借教・意・無常ノ四ツガ相応シテ、人相具足ノ体ダ程ニ、体ヲ受ケタ郎ニワ、愁情ワナウテワ、六祖道体ト心得サシ在ルガ、亦タ其コラモ詰タ修行デヲリヤルゾ。心得大事也。
』嶺さまヨリ 長牛 鶩(花押)
長島弘明氏「『青頭巾』の周辺」 ―快庵派の門参を中心に」(『説話の界域』小島孝之編 所収 平成18年)に、「比輪」などの語句の詳細な解説がある。
注14 平成18年 小島孝之編 『説話の異域』所収「『青頭巾』の周辺 ー快庵派の門参を中心に」
注18 本文は、次の通りである。
第十四祖竜樹尊者、梵云那伽閼刺樹那。唐云竜樹亦竜勝、亦云竜猛。西天竺国人也。至南天竺国。彼国之人、多信福業。尊者為説妙法。聞者逓相謂曰、「人有福業、世間第一。徒言仏性、誰能覩之。」
尊者曰、「汝欲見仏性、先須除我慢。」
彼人曰、「仏性大耶小耶。」
尊者曰、「仏性非大非小、非広非狭、無福無報、不死不生。」
彼聞理勝、悉廻初心。尊者復於坐上現自在身、如満月輪。一切衆会、唯聞法音、不覩師相。於彼衆中、有長者子迦那提婆、謂衆会曰、「謝此相否。」
衆会曰、「而今我等目所未見、耳無所聞、心無所識、身無所住。」
提婆曰、「此是尊者、現仏性相、以示我等。何以知之、蓋以無相三昧形如満月。仏性之義、廓然虚明。」
言訖輪相即隠。復居本坐、而説偈言、身言円月相、以表諸仏体、 説法無其形、用辨非声色。

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