まず、注意しておくべき事実をあげておく。
・福島第一原発で稼動していたのは1、2、3号炉の3基。
・地震直後に稼働中だった原子炉は自動停止にはいり、連鎖反応はきちんと停止した。
・水素爆発したのが3、4号炉。
・その後、ディーゼル発電機も外部からの電源供給も停止したため、冷却ができなくなり1、2、3号炉で炉心が崩壊した。
・4号炉は核燃料が抜かれ、すべて核燃料プールに保管されていたが、爆発で建物自体が危険な状態になり「世界最悪の危険物」になった。
短絡的に「原子力は危険だ」「制御できない」と考えて「稼動を止めれば安全」と思い込んではいけない。それは福島第一事故の教訓をまったく、ぜんぜん、何にも学んでいないということだ。
「放射性物質がそこにある限り、完全な安全などない」
これが、私の考える「福島第一事故の教訓」である。
稼動しなければ安全と思い込むのは、トイレで汚物を流したら、どこかへ消えてなくなるとか、ごみを集積所に出したらあとは誰かが処理してくれる、と考えることを数万倍悪化させたものだ。汚物は下水に混ざって処理場へ運ばれ、沈殿・生物処理・濾過などをされたのち、川などへ流されて下流のひとびとの飲み水になったりしている。ごみは焼却施設などで燃やされ、灰は埋め立てなどで処分される。どちらもかなりのコストがかかっているのだ。
放射性物質を闇雲に恐れることもしてはいけない。バナナや海水、温泉などに含まれている放射性物質よりも少ないものを恐れたってなんの意味もない。(実際に、福島県産の海産物・農作物などはすでにそうなっている)
さて、原子炉は当然のことながら、ウランなどの核分裂生成物などの照射を受けて巨大な放射性物質の塊になっている。配管類も同じ。言うまでもなく、核燃料は放射性物質そのものだ。
それらを安全にするには何が必要か。
原子炉を止めてしまえば、作業員の仕事は大幅に減る。もちろん、電力事業者は赤字垂れ流しになるので最小限の要員しか配置できなくなる。
この状態を私は決して「安全」とは思わない。なにか事故が発生したときに対処できる人間がいない、というのは大変に危険だ。特に熟練の運転員がいない状態は怖い。
稼動すれば高レベルの放射性物質(死の灰)が増える!というひともいるが、時間まで合わせて考えるとそうともいえない。物理法則は絶対であり、中でも「保存」という法則は絶対である。
質量とエネルギーの総和は常に一定。これはどんな系でも必ず成り立つ。
いわゆる高レベル廃棄物は数時間〜数万年の半減期をもつ。が、ウランは数億年〜数十億年も放射線を出し続ける。その莫大なエネルギーを数年で出させて発電しているのが原子炉であり、放射性物質が増えることは絶対にない。
それらを踏まえて、できる限りの安全対策をとり(ねじのトルクも全部確認し)、人員を正しく配置しての再稼動なら私は反対しない。(手抜きは絶対に許してはならない)
福島第一事故の現場で行われている作業、東海発電所で行われている廃炉作業、それらは今後、世界中すべての原子炉で必要になることだ。どこかの国のように「埋めたら忘れる」などのいい加減な処理もやってはいけない。
特に「福島第一」は「人類が過酷な原子力事故を克服した栄光の地」になるまで、やりぬかねばならない。
裁判所に「稼動を止めろ」と申し立てるような人々に私は決して同調しない。支持もしない。
簡単に「廃炉にしろ」と言う人々にはただただあきれ返るだけだ。
本物の「安全」を望むなら、本物の「教訓」を学ぶことが必要なのだから。
■関電が異議申し立て=高浜原発差し止め―大津地裁
(時事通信社 - 03月14日 15:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3897367
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